ににろくじけん

 二・二六事件は,昭和11(1936)年2月26日,東京でおきた陸軍のクーデター未遂事件であった。皇道派青年将校安藤輝三大尉,栗原安秀中尉らに率いられた歩兵第1聯隊・歩兵第3聯隊約1500人が,内閣総理大臣岡田啓介・大蔵大臣高橋是清・教育総監渡辺錠太郎・内大臣斉藤実・侍従長鈴木貫太郎を襲撃,高橋・渡辺・斉藤を殺害,鈴木に重傷を負わせた(岡田は未遂)。

 豊橋陸軍教導学校には,対島勝雄・竹島継夫・井上辰雄・塩田淑夫・板垣徹の各中尉を中心とする皇道派将校団が在校し,昭和維新運動を推進していた。事件前夜,対島中尉以下約120人の豊橋隊は,名古屋歩兵第6聯隊の鈴木五郎一等主計の指揮する軍用トラックに分乗して,静岡県興津(おきつ)の坐漁荘にいる元老西園寺公望を襲撃する計画であった。しかし,出発直前,板垣中尉が生徒隊の使用に反対したため出動は中止となった。対島・竹島両中尉は2人だけで上京し,決起部隊と合流した。事件後対島中尉・竹島中尉は軍法会議にかけられ,銃殺刑に処せられた。

- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。

このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog
http://nagasakanaoto.blog.jp/210125.html 
豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm 

では!