よかれん
「予科練」は第2次世界大戦当時の海軍飛行予科練習生(海軍少年飛行兵)の略称である。海軍は昭和17(1942)年のミッドウェー海戦の敗北と,ガダルカナル島争奪の消耗戦において,優秀な飛行機搭乗員の大半を失った。急遽(きゅうきょ)多数のパイロット養成と補充の必要に迫られ,昭和18(1943)年春から予科練募集の大キャンペーンを展開した。予科練は甲種(中等学校生),乙種(小学校高等科卒),丙種(一般水兵)の3種類があったが,特に甲種飛行予科練習生が期待された。
中学生たちは学業なかばで応募入隊した。記録によると,豊橋中学校60人,豊橋第二中学校61人,豊橋商業学校88人,成章中学校51人,新城農蚕学校32人が応募し,その多くが入隊した。これらの甲種飛行予科練習生は特攻隊の搭乗員や特攻艇の乗員に任命され,多数の戦死者を出している。この甲種飛行予科練習生募集については,軍の命令による応募者数の指定など無理な方法がとられたので,後に“予科練旋風”として批判をあびた。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
「予科練」は第2次世界大戦当時の海軍飛行予科練習生(海軍少年飛行兵)の略称である。海軍は昭和17(1942)年のミッドウェー海戦の敗北と,ガダルカナル島争奪の消耗戦において,優秀な飛行機搭乗員の大半を失った。急遽(きゅうきょ)多数のパイロット養成と補充の必要に迫られ,昭和18(1943)年春から予科練募集の大キャンペーンを展開した。予科練は甲種(中等学校生),乙種(小学校高等科卒),丙種(一般水兵)の3種類があったが,特に甲種飛行予科練習生が期待された。
中学生たちは学業なかばで応募入隊した。記録によると,豊橋中学校60人,豊橋第二中学校61人,豊橋商業学校88人,成章中学校51人,新城農蚕学校32人が応募し,その多くが入隊した。これらの甲種飛行予科練習生は特攻隊の搭乗員や特攻艇の乗員に任命され,多数の戦死者を出している。この甲種飛行予科練習生募集については,軍の命令による応募者数の指定など無理な方法がとられたので,後に“予科練旋風”として批判をあびた。
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