まるも・とうへい(1882~1956)

 丸茂藤平は,明治15(1882)年3月25日,長野県諏訪郡玉川村(茅野市玉川)に両角(もろずみ)彦五郎の2男に生まれたが,丸茂米作の養嗣子となった。明治41(1908)年,京都帝国大学を卒業し,高等文官試験に合格し,愛知県警察部長・京都府警察部長・千葉県内務部長などを歴任した。大正11(1922)年岐阜市長に就任した。昭和2(1927)年,内務省復興局長,翌3(28)年,岩手県知事・台湾総督府交通総局長となった。

 昭和5(1930)年,輸入市長として第9代豊橋市長に就任した。昭和7(1932)年,豊橋を工業都市化するために臨海部を同一行政区に編入する必要があった。そこで,渥美郡牟呂吉田村・高師村・宝飯郡下地町・八名郡下川村・石巻村大字多米を豊橋市に合併した。昭和6(1931)年から同12(37)年,下水道築造,同7(32)年,豊橋常備消防組・市立豊橋病院の設置などを行った。昭和8(1933)年,人毛誘致問題がこじれ,翌9(34)年,豊橋市長を辞して,大連市長に就任した。昭和31(1956)年3月9日,没した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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