まるぶつひゃっかてん
丸物百貨店は,昭和7(1932)年10月,豊橋市神明町(広小路)の物産館の建物を使って豊橋支店の営業を開始した。昭和20(1945)年5月,木造4階建ての建物は強制疎開の対象となったが,移転先(浦柴屋洋品店)も戦災にあった。戦後,焼け残った守田屋ビル(豊橋市指笠町)を応急改装して仮営業した。昭和21(1946)年6月,豊橋駅前に木造2階建て(延べ200㎡)の店舗を新築開店した。昭和25(1950)年7月,株式会社豊橋丸物を設立し,同25(50)年12月鉄筋コンクリート3階建ての店舗(延べ2000㎡)を新増築した。昭和41(1966)年には地下2階・地上9階・塔屋4階(建物総面積1万3249㎡)の店舗となった。
昭和48(1973)年4月,社名を株式会社豊橋西武に変更し,同57(82)年西武百貨店関西に合併して株式会社西武百貨店関西豊橋西武となった。平成15(2003)年に閉店し,翌16(04)年建物はすべて取り壊された。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
丸物百貨店は,昭和7(1932)年10月,豊橋市神明町(広小路)の物産館の建物を使って豊橋支店の営業を開始した。昭和20(1945)年5月,木造4階建ての建物は強制疎開の対象となったが,移転先(浦柴屋洋品店)も戦災にあった。戦後,焼け残った守田屋ビル(豊橋市指笠町)を応急改装して仮営業した。昭和21(1946)年6月,豊橋駅前に木造2階建て(延べ200㎡)の店舗を新築開店した。昭和25(1950)年7月,株式会社豊橋丸物を設立し,同25(50)年12月鉄筋コンクリート3階建ての店舗(延べ2000㎡)を新増築した。昭和41(1966)年には地下2階・地上9階・塔屋4階(建物総面積1万3249㎡)の店舗となった。
昭和48(1973)年4月,社名を株式会社豊橋西武に変更し,同57(82)年西武百貨店関西に合併して株式会社西武百貨店関西豊橋西武となった。平成15(2003)年に閉店し,翌16(04)年建物はすべて取り壊された。
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豊橋市議の長坂です。
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