ちゅうぶだい100ぶたい
陸軍は南太平洋における厳しい戦訓から,昭和18(1943)年2月,陸軍航空本部直轄の陸軍飛行場設定練習部を豊橋に設置した。飛行場設定練習部は中部第100部隊と称して,旧歩兵第18聯隊(吉田城址(じょうし))におかれ,本部・研究部・教育部・練習隊・材料廠(しょう)などの組織を有し,老津陸軍飛行場を練習場として研究訓練にはげんだ。
戦局がさらに激しくなった昭和19(1944)年3月,中部第100部隊は陸軍航空基地設定練習部として改編強化され,長野県の伊那飛行場や群馬県,大分県の練習場において,野戦飛行場設定隊の編成教育に努力した。マリアナ海戦における日本海軍機動部隊の潰滅後,同隊の必要性が強く叫ばれたが,運土車(ダンプカー)などの生産が追いつかず,その装備の充実は実現しなかった。各戦線の飛行場設定の指導援助に派遣され,一部はサイパン・沖縄に出動し全滅した。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
陸軍は南太平洋における厳しい戦訓から,昭和18(1943)年2月,陸軍航空本部直轄の陸軍飛行場設定練習部を豊橋に設置した。飛行場設定練習部は中部第100部隊と称して,旧歩兵第18聯隊(吉田城址(じょうし))におかれ,本部・研究部・教育部・練習隊・材料廠(しょう)などの組織を有し,老津陸軍飛行場を練習場として研究訓練にはげんだ。
戦局がさらに激しくなった昭和19(1944)年3月,中部第100部隊は陸軍航空基地設定練習部として改編強化され,長野県の伊那飛行場や群馬県,大分県の練習場において,野戦飛行場設定隊の編成教育に努力した。マリアナ海戦における日本海軍機動部隊の潰滅後,同隊の必要性が強く叫ばれたが,運土車(ダンプカー)などの生産が追いつかず,その装備の充実は実現しなかった。各戦線の飛行場設定の指導援助に派遣され,一部はサイパン・沖縄に出動し全滅した。
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