なかにし・よえもん(?~1690)

 中西与右衛門は,吉田(豊橋)宿本陣清須屋4代主人であったが,寛文3(1663)年豊川(とよがわ)河口右岸の川崎村(豊橋市川崎町)地先に新田開発を発願した。寛文7(1667)年5月検地がすみ,清須新田46町9反余,高462石余とされた。内7反歩は14人の居屋敷として除地された。

 最初の入植者は,14人であったが,享保15(1730)年の差出帳には38人とある。天保10(1839)年の村中慶事倹約箇条取定覚帳には51人の名前が載っている。豊川河口部の新田開発は清須新田を最初として,寛文5(1665)年には豊川左岸に高須新田950石,土倉新田250石なども開発された。元禄3(1690)年3月19日,没した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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