なかむら・ふうせい(1884~1923)

 中村風声は,本名を幸三郎といい,明治17(1884)年10月,渥美郡東豊田村(豊橋市野田町)に生まれた。小学校を卒業し,素修学校に学ぶ。その後,上京して苦学の日々を送ったが,徴兵により帰郷し歩兵第18聯隊に入隊した。

 3か年の兵役を終え除隊した明治41(1908)年新朝報に入社した。新朝報時代には,青年の指導に力を入れ,各地の講演会で名声をはせるとともに,脚本「薄命の女」「濁流」などを執筆上演するなど新聞界に異彩をはなった。大正6(1917)年2月,独立して「豊橋日日新聞」を創刊した。中村風声は,「奮闘は吾人の生命也」を信条として,社長でありながら社名入りの法被(はっぴ)を着て,広告取りから配達,集金までの業務をこなしたという。中村風声は,紙面第1ページの欄外に「社長兼主筆兼編集長兼広告取兼新聞配達夫」と印刷しており,彼の強烈な個性を示した。大正12(1923)年10月,没した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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