なかむら・みちた(1836~1921)
中村道太は,天保7(1836)年3月10日,吉田(豊橋)藩士中村哲兵衛の長男に生まれた。慶応2(1866)年,福沢諭吉門下となる。明治5(1872)年,福沢諭吉の推挙で丸屋商会(丸善)に社長格で入社した。その後,郷里豊橋で,明治8(1875)年三浦碧水らと浅倉屋積金所を設立した。明治10(1877)年,豊橋に第八国立銀行を設立するために奔走した。明治11(1878)年,初代渥美郡長に就任した。明治13(1880)年,横浜正金銀行頭取となる。明治14(1881)年には,日本最初の生命保険事業である明治生命保険発起人となった。明治21(1888)年,東京米商会所頭取に就任したが,同26(93)年疑獄のため退隠した。大正10(1921)年1月3日,没した。昭和37(1962)年,豊橋公園に「中村道太翁碑」が建立された。
参考文献 - 豊橋市立商業学校編「東三河産業功労者伝」
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
中村道太は,天保7(1836)年3月10日,吉田(豊橋)藩士中村哲兵衛の長男に生まれた。慶応2(1866)年,福沢諭吉門下となる。明治5(1872)年,福沢諭吉の推挙で丸屋商会(丸善)に社長格で入社した。その後,郷里豊橋で,明治8(1875)年三浦碧水らと浅倉屋積金所を設立した。明治10(1877)年,豊橋に第八国立銀行を設立するために奔走した。明治11(1878)年,初代渥美郡長に就任した。明治13(1880)年,横浜正金銀行頭取となる。明治14(1881)年には,日本最初の生命保険事業である明治生命保険発起人となった。明治21(1888)年,東京米商会所頭取に就任したが,同26(93)年疑獄のため退隠した。大正10(1921)年1月3日,没した。昭和37(1962)年,豊橋公園に「中村道太翁碑」が建立された。
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