ちゅうにちまらそん
半世紀以上におよぶ歴史を持つ「日比野賞中日豊橋マラソン大会」の前身は,昭和28(1953)年に名古屋で創設された30㎞のロードレースである。昭和32(1957)年には,フルマラソン大会(42.195㎞)となる。この大会も,昭和36(1961)年の第9回大会からは「マラソン王」と呼ばれた日比野寛(愛知一中校長)の功績をしのんで「日比野賞」と名づけられ,現在にいたっている。
昭和44(1969)年に豊橋市陸上競技場付設公認豊橋マラソンコース(42.195㎞)に変わる。昭和55(1980)年の第28回大会からは,中日女子20㎞ロードレース大会を設けたが,同57(82)年には名古屋へ会場を移し,名古屋国際女子マラソン大会と名称が変更された。
昭和58(1983)年にはハーフマラソンの部(21.0975㎞)があわせて催されることとなった。これは,健康的な大衆マラソンとして,男子1部(16歳以上39歳以下)2部(40歳以上)女子の部(16歳以上)の3部門に分けて今日まで続いている。さらに,第41回大会の平成5(1993)年から名称が「日比野賞中日豊橋マラソン大会」となり,毎年,県外からも多くの選手や愛好者の参加がある。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
半世紀以上におよぶ歴史を持つ「日比野賞中日豊橋マラソン大会」の前身は,昭和28(1953)年に名古屋で創設された30㎞のロードレースである。昭和32(1957)年には,フルマラソン大会(42.195㎞)となる。この大会も,昭和36(1961)年の第9回大会からは「マラソン王」と呼ばれた日比野寛(愛知一中校長)の功績をしのんで「日比野賞」と名づけられ,現在にいたっている。
昭和44(1969)年に豊橋市陸上競技場付設公認豊橋マラソンコース(42.195㎞)に変わる。昭和55(1980)年の第28回大会からは,中日女子20㎞ロードレース大会を設けたが,同57(82)年には名古屋へ会場を移し,名古屋国際女子マラソン大会と名称が変更された。
昭和58(1983)年にはハーフマラソンの部(21.0975㎞)があわせて催されることとなった。これは,健康的な大衆マラソンとして,男子1部(16歳以上39歳以下)2部(40歳以上)女子の部(16歳以上)の3部門に分けて今日まで続いている。さらに,第41回大会の平成5(1993)年から名称が「日比野賞中日豊橋マラソン大会」となり,毎年,県外からも多くの選手や愛好者の参加がある。
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