はりすとすせいきょうかい
ハリストス正教会の日本への布教は,文久元(1861)年に北海道箱館のロシア領事館の司祭として来日した聖ニコライが,明治5(1872)年,東京神田の駿河台に,ロシア語学校を開設し,同6(73)年,キリスト教禁教令が解除されたことにより,同駿河台にニコライ堂が建設されたことによる。
三河地方への布教は明治8(1875)年からであり,同9(76)年に平山文太郎が豊橋ではじめての信者となる。明治15(1882)年6月,ニコライ主教がはじめて来豊,同38(1905)年には日露戦争の豊橋捕虜収容所にロシア兵捕虜慰問のため,再来豊している。そのときの捕虜であった画家が描いた神使長「ガウエル」「ミハエル」の2面が,山下りんの「主の昇天」「ハリストス降臨」と並んで,豊橋ハリストス正教会の壁画として掲げられている。また,桜丘高等学校創設者の満田樹吉・オリガ夫妻が信者であったこともあり,前身の豊橋桜ヶ丘高等女学校が聖堂内に教室を移していたこともある。
なお,豊橋「ハリストス正教会聖堂」は大正2(1913)年に建築され,昭和58(1983)年3月15日,豊橋市有形文化財(建造物),翌59(84)年2月27日,愛知県有形文化財(建造物)に指定された。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
ハリストス正教会の日本への布教は,文久元(1861)年に北海道箱館のロシア領事館の司祭として来日した聖ニコライが,明治5(1872)年,東京神田の駿河台に,ロシア語学校を開設し,同6(73)年,キリスト教禁教令が解除されたことにより,同駿河台にニコライ堂が建設されたことによる。
三河地方への布教は明治8(1875)年からであり,同9(76)年に平山文太郎が豊橋ではじめての信者となる。明治15(1882)年6月,ニコライ主教がはじめて来豊,同38(1905)年には日露戦争の豊橋捕虜収容所にロシア兵捕虜慰問のため,再来豊している。そのときの捕虜であった画家が描いた神使長「ガウエル」「ミハエル」の2面が,山下りんの「主の昇天」「ハリストス降臨」と並んで,豊橋ハリストス正教会の壁画として掲げられている。また,桜丘高等学校創設者の満田樹吉・オリガ夫妻が信者であったこともあり,前身の豊橋桜ヶ丘高等女学校が聖堂内に教室を移していたこともある。
なお,豊橋「ハリストス正教会聖堂」は大正2(1913)年に建築され,昭和58(1983)年3月15日,豊橋市有形文化財(建造物),翌59(84)年2月27日,愛知県有形文化財(建造物)に指定された。
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