あめりかいみん

 アメリカ移民として有名なのは,慶応義塾大学を創設した福沢諭吉の移民計画と外務大臣を務めた榎本武楊の移民計画であった。福沢諭吉は,アメリカのカリフォルニア州に日本村を建設する計画を立て,明治20(1887)年豊橋出身の中村道太に相談した。その結果,旧吉田(豊橋)藩士宮脇国蔵・鍛冶町の商人中村直吉・魚町の田中田新商店の番頭加藤直太郎などが参加することになった。この計画は出発直前に中止となった。しかし,宮脇国蔵・中村直吉は,相次いで渡米し,移民としてではなく労働者として米国各地を見聞した。外務大臣を務めた榎本は,明治30(1897)年「日墨拓殖会社」を設立し,メキシコのチャーパス州に土地を購入し移民を募った。宝飯郡一宮町出身の草鹿砥寅二に現地経営を一任したため,豊橋地方の人々が参加した。豊橋市では,以下の人々が参加した。岡田六蔵(牟呂)・中村善平(大村)・鈴木若(大村)・野沢為三郎(石巻萩平)・杉浦仁作(石巻小野田)・鈴木応次(大村)

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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