ときわどおりのかさい

 ときわ通りの火災は,昭和42(1967)年5月4日午後1時15分ごろ,パチンコ店「豊橋ゲームセンター」を火元として起きた。火は,同店を焼いて2階づたいに喫茶店「三鈴」と「精文館書店」へと延焼し,さらに「ワルツ商会」「第一ホール」「パチンコ八千久」「パチンコ名人荘」まで全焼した。焼失面積は3600㎡,損害金額1億5800万円余の豊橋市はじまって以来の大火となった。これだけの大きい火災であったにもかかわらず,昼間の火災であったため死傷者はなかった。

 この大火を教訓にして防災建築のあり方がクローズアップされた。「ときわ通発展会」は,5月11日に臨時総会を開いて,「燃えない商店街づくり」を協議して,ときわ通り一帯に防災地域の申請をし,大規模な中高層不燃共同ビル建設案を議決,「ときわ通」の9店舗が松葉防災建築街区造成組合を設立して,昭和44(1969)年7月22日に地下1階,地上3階,一部5階の中高層不燃共同ビルが竣工し,近代的防災ビル商店街のスタートとなった。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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