ちくわ・かまぼこ

 かまぼこの起源は古い。日本書紀に神功皇后が三韓に行った時,魚を加工して保存食としたのが始まりとされている。蒲の穂が焼けている様子に似ていることから蒲穂子(かまぼこ)と呼ばれた。蒲穂子が蒲鉾と書かれるようになったのは,室町時代の初期といわれている。江戸時代に,ちくわは竹輪になり,板付蒲鉾が蒲鉾と呼ばれるようになった。

 文政10(1827)年,ヤマサちくわの創業は,初代佐藤善作が三河湾で獲れる魚を加工して製造したのが始まりである。魚の販売は,天文5(1536)年に今川義元によって認可された。慶長6(1601)年,吉田城主池田輝政によって安海熊野神社の境内に限り,伊良湖から新居までの片浜13里(約50㎞)の海産物の販売認可を得た。冷蔵庫のない時代には保存のきく,塩漬けちくわが良く売れた。安価な三陸ちくわの攻勢にあい,苦しい時もあった。豊橋ちくわの特色は,真ん中に焼き目をつけ,小口の両端を白くしていることである。原料はグチ・エソ・ハモを使用している。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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