すずきましげかしゅう
「鈴木真重歌集」(写半紙本一冊,墨付全54丁 明治13年)は,吉田天王社(吉田神社)神官,鈴木若狭真重(1750~1811)の歌集である。明治13(1880)年11月の序によれば,孫の鈴木石見磐根が子孫に伝え,また羽田八幡宮文庫に奉納するため編したものである。写本半紙本1冊,墨付54丁,10行罫紙書,短歌春夏秋冬雑計350首,旋頭歌1首,長歌4首,文章7を収めてあり,羽田野敬雄の序が付されている。
鈴木真重は,寛政5(1793)年本居宣長門となり,和歌国学を修めて,吉田(豊橋)藩主松平信明の和歌の師となった。中山美石(うまし)を藩主に知らせ,中山美石が吉田国学の第1人者となるきっかけを作ったのも鈴木真重である。羽田八幡宮文庫に納められた本書は羽田八幡宮文庫本が売られた時に分散してしまい,現在西尾市立岩瀬文庫蔵となっている。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
「鈴木真重歌集」(写半紙本一冊,墨付全54丁 明治13年)は,吉田天王社(吉田神社)神官,鈴木若狭真重(1750~1811)の歌集である。明治13(1880)年11月の序によれば,孫の鈴木石見磐根が子孫に伝え,また羽田八幡宮文庫に奉納するため編したものである。写本半紙本1冊,墨付54丁,10行罫紙書,短歌春夏秋冬雑計350首,旋頭歌1首,長歌4首,文章7を収めてあり,羽田野敬雄の序が付されている。
鈴木真重は,寛政5(1793)年本居宣長門となり,和歌国学を修めて,吉田(豊橋)藩主松平信明の和歌の師となった。中山美石(うまし)を藩主に知らせ,中山美石が吉田国学の第1人者となるきっかけを作ったのも鈴木真重である。羽田八幡宮文庫に納められた本書は羽田八幡宮文庫本が売られた時に分散してしまい,現在西尾市立岩瀬文庫蔵となっている。
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