とよはしらいどうひょうき
「豊橋雷動ひょう記」(三興社 昭和11年)は,参陽新聞社主事の近藤鹿堂(健吉)が,「喧嘩は停滞腐敗する時代を促進洗滌(せんじょう)し,生動する波瀾(はらん)・刺激である」と定義して,明治維新から昭和11(1936)年までの豊橋の動向を相対立する両勢力の喧嘩として捉えた書物である。著者の近藤鹿堂は豊橋を2分した政争では大口派に属し,市長大口喜六を擁護した。
項目としては喧嘩総論と吉田藩の去就,侠客(きょうかく)界の乱闘,洋漢学の反目,第八銀行の破綻,自由改進の竜闘虎撃,十八将士豊橋駅事件,表浜打瀬網(うたせあみ)事件,米穀取引所の買い占め・売り崩しと移転,遠藤安太郎と大口喜六の両派対立,市制急施と尚早両派の対立,高女設立,師団誘致,電気市営問題と電価値下げ問題と同志派・実業派の流血市議会,人毛誘致問題,豊川鉄道争議など33項目を激動政争として捉えている。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
「豊橋雷動ひょう記」(三興社 昭和11年)は,参陽新聞社主事の近藤鹿堂(健吉)が,「喧嘩は停滞腐敗する時代を促進洗滌(せんじょう)し,生動する波瀾(はらん)・刺激である」と定義して,明治維新から昭和11(1936)年までの豊橋の動向を相対立する両勢力の喧嘩として捉えた書物である。著者の近藤鹿堂は豊橋を2分した政争では大口派に属し,市長大口喜六を擁護した。
項目としては喧嘩総論と吉田藩の去就,侠客(きょうかく)界の乱闘,洋漢学の反目,第八銀行の破綻,自由改進の竜闘虎撃,十八将士豊橋駅事件,表浜打瀬網(うたせあみ)事件,米穀取引所の買い占め・売り崩しと移転,遠藤安太郎と大口喜六の両派対立,市制急施と尚早両派の対立,高女設立,師団誘致,電気市営問題と電価値下げ問題と同志派・実業派の流血市議会,人毛誘致問題,豊川鉄道争議など33項目を激動政争として捉えている。
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