とよはしにちにちしんぶん

 「豊橋日日新聞」は,大正6(1917)年2月11日創刊された日刊紙である。豊橋市大字萱に本社を置いた。1部1銭,1か月13銭であった。創刊者は,新朝報の記者をしていた中村幸三郎(風声)であった。

 豊橋日日新聞は,発刊の辞に「所謂(いわゆる)堅実な新聞紙が発行されんことを有識者予(かね)て要求しつつありたるなり」とあるように,豊橋の郷土紙には珍しく,政治的には中立の立場をとった。参陽新報や新朝報と異なり政治記事より演劇や花柳界(現在の芸能記事)の記事を好んで掲載した。また,郷土新聞としては,前例のなかった文芸欄を月曜日の1面に掲載し,豊橋地方の文学青年の登竜門的な役割を果たした。この文芸欄から乙部静夫(小説)や岩瀬正雄(詩人)などが育った。

 昭和2(1927)年現況は以下のとおり。朝刊4ページ,購読料1か月30銭,新城町,豊川町,田原町,国府町に支局を置く。昭和13(1938)年11月豊橋市内の日刊6紙を合同して豊橋同盟新聞を創刊,豊橋日日新聞は終刊となった。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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