とよはししんぶん
「豊橋新聞」は,昭和27(1952)年10月,元中部日本新聞出版部長・渡辺登喜雄により創刊された。本社を豊橋市紺屋町(豊橋市魚町)に置き,当初は全判半裁2ページ,後にブランケット判4ページであった。その後社屋を豊橋市下地町に移転した。発足時は編集中村弥太郎,経理渡辺雅之助,営業丸山隆三を中心とするスタッフで,後に不二タイムス編集局長になった清水徹が加わった。
中道を行く穏健な郷土紙として評価を得るとともに,雑誌「人と事業」発行や「東三河観光の栞」,長坂理一郎「昔はなし」(昭和33年),豊田珍比古「東三河郷土雑話」(昭和36年)刊行など,文化事業に特色があったが,経営は終始苦しく,昭和38(1963)年6月に廃刊した。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
「豊橋新聞」は,昭和27(1952)年10月,元中部日本新聞出版部長・渡辺登喜雄により創刊された。本社を豊橋市紺屋町(豊橋市魚町)に置き,当初は全判半裁2ページ,後にブランケット判4ページであった。その後社屋を豊橋市下地町に移転した。発足時は編集中村弥太郎,経理渡辺雅之助,営業丸山隆三を中心とするスタッフで,後に不二タイムス編集局長になった清水徹が加わった。
中道を行く穏健な郷土紙として評価を得るとともに,雑誌「人と事業」発行や「東三河観光の栞」,長坂理一郎「昔はなし」(昭和33年),豊田珍比古「東三河郷土雑話」(昭和36年)刊行など,文化事業に特色があったが,経営は終始苦しく,昭和38(1963)年6月に廃刊した。
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豊橋市議の長坂です。
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苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
http://nagasakanaoto.blog.jp/210125.html
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