はや

 「甲矢」は明治37(1904)年編集人朝倉貞二,発行人下村諦信により創刊された子規派の文芸雑誌である。豊橋町大字指笠(さしかさ)(豊橋市新本町)の願成寺を発行所とし,菊判40ページであった。明治40(1907)年4月の32号で廃刊となった。

 甲矢とは的矢を射る一番矢のことで,「ある分野の先駆」を意味する。河東碧梧桐,松瀬青々,内藤鳴雪,柳原格堂ら子規派の幹部が選者に連なり,伊藤左千夫も短歌の選をしながら自身の短歌や短文を掲載している。高浜虚子の評も随所にみられ,大阪の「宝船」,京都の「懸葵」などとともに全国的な評価を受けていた。下村諦信の「糸瓜(へちま)や蚯蚓(みみず)も何か吟む 快雨」が創刊号に掲載されている。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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