まつばらようすいしよう

 「松原用水史要」(豊橋市教育会 昭和19年)は,東三河における治水・土木の観点から重要な歴史的研究課題であった松原用水について書かれたもので,主な内容は,豊川の洪水・橋尾井堰・江戸時代の潅漑・争論・松原井堰などである。

 松原用水は,永禄10(1567)年に吉田(豊橋)城主・酒井忠次が橋尾村(宝飯郡一宮町)で井堰(いせき)の築造に着手し,次の吉田城主・池田輝政によって完成したと伝えられている。元禄4(1691)年,豊川の大洪水で橋尾井堰が破壊されたため,上流の日下部村(宝飯郡一宮町)に井堰を移し,明治2(1869)年に松原村(宝飯郡一宮町)に井堰を設けた。このため松原用水と呼ばれたが,常に用水をめぐって利害の相反する上流と下流の村々の間に大きな争いが起こった。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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