とうかんのんじこけいだいず
「東観音寺古境内図」1幅(東観音寺蔵)は,昭和58(1983)年3月15日,豊橋市有形文化財(絵画)に指定された。
「東観音寺古境内図」は,紙本着色,掛幅,縦166㎝,横145㎝で,作者は不明であるが,巻止めに「当山応永已前於旧跡鎮座之図」とあり,画面の人物・風俗から,室町末期から江戸初期の作と推定される。東観音寺(豊橋市小松原町)は,かつては遠州灘に臨む丘陵地に建立されていた。しかし,宝永4(1707)年の地震・津波によって被災し,海岸から約2㎞離れた現在の地に,翌5(08)年堂宇(どうう)の再建が始まった。
「東観音寺古境内図」は,移転前の境内の様子や参詣者の姿,蹴鞠(けまり)に興じる人々や街道を行き交う人々,農作業や漁をする人々の姿が描かれており,参詣誘致を目的として作成された参詣曼荼羅(さんけいまんだら)と呼ばれる案内絵図である。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
「東観音寺古境内図」1幅(東観音寺蔵)は,昭和58(1983)年3月15日,豊橋市有形文化財(絵画)に指定された。
「東観音寺古境内図」は,紙本着色,掛幅,縦166㎝,横145㎝で,作者は不明であるが,巻止めに「当山応永已前於旧跡鎮座之図」とあり,画面の人物・風俗から,室町末期から江戸初期の作と推定される。東観音寺(豊橋市小松原町)は,かつては遠州灘に臨む丘陵地に建立されていた。しかし,宝永4(1707)年の地震・津波によって被災し,海岸から約2㎞離れた現在の地に,翌5(08)年堂宇(どうう)の再建が始まった。
「東観音寺古境内図」は,移転前の境内の様子や参詣者の姿,蹴鞠(けまり)に興じる人々や街道を行き交う人々,農作業や漁をする人々の姿が描かれており,参詣誘致を目的として作成された参詣曼荼羅(さんけいまんだら)と呼ばれる案内絵図である。
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