とうにちしんぶん
東日新聞は,昭和23(1948)年8月15日第2次世界大戦後の豊橋地方最初の日刊新聞「東三新聞」として,杉田英一郎(有窓子・杉八代表取締役)により創刊された。タブロイド判2ページだった。中部100部隊(歩兵第18聯隊)兵舎の一隅を借りてスタートしたが,間もなく豊橋市東八町(八町通四丁目)に社屋を建てた。3年目にブランケット判4ページとし,昭和29(1954)年2月1日,題号を「不二タイムス」と改題,同29(54)年8月27日,株式会社不二タイムスに組織変更した。
昭和38(1963)年9月,宮脇良一(中部経済新聞社報道部長)が社長に就任,同38(63)年10月1日,「東海日日新聞」に社名・題号を変更した。昭和40(1965)年2月,豊橋市松山町に新社屋を建設,移転した。宮脇良一の死後,長谷川哲男(東海日日新聞社副社長),小坂英一(東三河開発懇話会専務理事)を経て,平成13(2001)年から白井収(プラネッツ社長)が社長になり,題号を「東日新聞」に変更した。平成15(2003)年7月,タブロイド判16ページ,翌16(04)年7月からフルカラー印刷とした。
- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
東日新聞は,昭和23(1948)年8月15日第2次世界大戦後の豊橋地方最初の日刊新聞「東三新聞」として,杉田英一郎(有窓子・杉八代表取締役)により創刊された。タブロイド判2ページだった。中部100部隊(歩兵第18聯隊)兵舎の一隅を借りてスタートしたが,間もなく豊橋市東八町(八町通四丁目)に社屋を建てた。3年目にブランケット判4ページとし,昭和29(1954)年2月1日,題号を「不二タイムス」と改題,同29(54)年8月27日,株式会社不二タイムスに組織変更した。
昭和38(1963)年9月,宮脇良一(中部経済新聞社報道部長)が社長に就任,同38(63)年10月1日,「東海日日新聞」に社名・題号を変更した。昭和40(1965)年2月,豊橋市松山町に新社屋を建設,移転した。宮脇良一の死後,長谷川哲男(東海日日新聞社副社長),小坂英一(東三河開発懇話会専務理事)を経て,平成13(2001)年から白井収(プラネッツ社長)が社長になり,題号を「東日新聞」に変更した。平成15(2003)年7月,タブロイド判16ページ,翌16(04)年7月からフルカラー印刷とした。
- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
http://nagasakanaoto.blog.jp/210125.html
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!