ばんくーばーのあい
「晩香坡の愛-田村俊子と鈴木悦-」(ドメス出版 昭和57年)は,カナダ在住時代の鈴木悦(1886~1933)・田村俊子(1884~1945)の記録である。鈴木悦は,大正7(1918)年6月田村俊子と同居していた。その後,恋愛の行きづまりから朝日新聞社を退社して,カナダに渡り,バンクーバーの「大陸日報」主筆になる。大正7(1918)年10月田村俊子が鈴木悦を追って,鈴木悦の部屋に落ち着く。
大正9(1920)年カナダ日本人労働組合が結成され,鈴木悦は顧問として指導に当たり,労働組合機関誌「労働週報」(大正13年「日刊民衆」)を発行する。昭和7(1932)年,鈴木悦は一時帰国の予定で帰国する。昭和8(1933)年9月11日豊橋で盲腸炎悪化のため死去した。田村俊子は,昭和11(1936)年3月帰国し,佐藤俊子の名で「改造」「中央公論」「文芸春秋」などに文芸作品を発表する。昭和13(1938)年中国に渡航,同20(45)年4月13日上海で没した。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
「晩香坡の愛-田村俊子と鈴木悦-」(ドメス出版 昭和57年)は,カナダ在住時代の鈴木悦(1886~1933)・田村俊子(1884~1945)の記録である。鈴木悦は,大正7(1918)年6月田村俊子と同居していた。その後,恋愛の行きづまりから朝日新聞社を退社して,カナダに渡り,バンクーバーの「大陸日報」主筆になる。大正7(1918)年10月田村俊子が鈴木悦を追って,鈴木悦の部屋に落ち着く。
大正9(1920)年カナダ日本人労働組合が結成され,鈴木悦は顧問として指導に当たり,労働組合機関誌「労働週報」(大正13年「日刊民衆」)を発行する。昭和7(1932)年,鈴木悦は一時帰国の予定で帰国する。昭和8(1933)年9月11日豊橋で盲腸炎悪化のため死去した。田村俊子は,昭和11(1936)年3月帰国し,佐藤俊子の名で「改造」「中央公論」「文芸春秋」などに文芸作品を発表する。昭和13(1938)年中国に渡航,同20(45)年4月13日上海で没した。
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