むかしはなし
「昔はなし」(豊橋新聞社 昭和33年)は,豊橋市札木町の料亭「千歳楼」の主人・長坂理一郎(ながさかりいちろう)(1870~1961)が,昭和31(1956)年正月から翌32(1957)年暮まで2年間にわたって豊橋新聞に連載(豊橋新聞の渡辺登喜雄が口述筆記)したものを,翌33(58)年,本にまとめて豊橋新聞社から刊行したものである。
長坂理一郎は料理旅館主という職業柄,各界の著名人と会う機会が多く,長坂理一郎自身も国学を羽田野敬雄(はだのたかお)に,俳諧を佐野蓬宇(さのほうう)に,南画を渡辺小華(わたなべしょうか)に学び,茶道,能楽,謡曲などの芸事に通じる趣味人であり,文化人でもあった。
「昔はなし」では,多くの人々との交際を通して得た情報に基づき,明治時代に活躍した豊橋の文人,芸術家から政財界人や軍人など,いわゆる有名人のエピソードから,花柳界(かりゅうかい)のゴシップにいたる三面記事的な内容まで語られている。また,メガネ店,時計店,牛肉屋などについて,豊橋の“草分け”がどこであるかについて述べられており,豊橋の文明開化の一端を知ることができる。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
「昔はなし」(豊橋新聞社 昭和33年)は,豊橋市札木町の料亭「千歳楼」の主人・長坂理一郎(ながさかりいちろう)(1870~1961)が,昭和31(1956)年正月から翌32(1957)年暮まで2年間にわたって豊橋新聞に連載(豊橋新聞の渡辺登喜雄が口述筆記)したものを,翌33(58)年,本にまとめて豊橋新聞社から刊行したものである。
長坂理一郎は料理旅館主という職業柄,各界の著名人と会う機会が多く,長坂理一郎自身も国学を羽田野敬雄(はだのたかお)に,俳諧を佐野蓬宇(さのほうう)に,南画を渡辺小華(わたなべしょうか)に学び,茶道,能楽,謡曲などの芸事に通じる趣味人であり,文化人でもあった。
「昔はなし」では,多くの人々との交際を通して得た情報に基づき,明治時代に活躍した豊橋の文人,芸術家から政財界人や軍人など,いわゆる有名人のエピソードから,花柳界(かりゅうかい)のゴシップにいたる三面記事的な内容まで語られている。また,メガネ店,時計店,牛肉屋などについて,豊橋の“草分け”がどこであるかについて述べられており,豊橋の文明開化の一端を知ることができる。
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