たいしゅうしんぶん

 「豊橋大衆新聞」は,昭和4(1929)年12月創刊の日刊紙である。タブロイド4ページだてで,購読料は1部2銭,1か月30銭であった。社屋を豊橋市花田町角田に置き,編集所を前田南町に置いた。創業者高崎信吉(1898~1944)の個人新聞的な性格が強かった。

 大衆新聞は,電価争議など,その時々の市政問題に鋭く論陣をはった。また,同紙のコラム欄「誤失腑」は,高崎自身が書いたものであり,新朝報に河合陸郎が掲載した「喫煙室」とならんで,読者に好評であった。昭和13(1938)年11月,豊橋市内の日刊6紙を合同して豊橋同盟新聞を創刊した。この時点で豊橋大衆新聞は終刊となった。

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豊橋市議の長坂です。
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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog
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