よしだはんふしんぶぎょうにっき
「吉田藩普請奉行日記」(豊橋市 平成14年)は,豊橋市史々料叢書の第5集として刊行された。原本は,豊橋市美術博物館蔵で,天保14(1843)年から弘化4(1847)年までの5年間で,9冊に構成されている。「吉田藩普請奉行日記」は,吉田(豊橋)藩士の染矢兵左衛門直貞が吉田藩普請奉行勤役中に記した公的日記である。
普請奉行は,鉄砲組足軽を配下に従え,土木や営繕の業務を統括した。なかでも重要な仕事として,吉田大橋の修繕・架け替えがあった。染矢兵左衛門が勤役中の弘化2(1845)年に架け替えが行われ,幕府役人の接待などに奔走した様子がわかる。藩記録によると染矢兵左衛門直貞は,染谷家第4代とあり,天保5(1834)年に勝手掛となって以来,普請掛,勘定奉行を勤め,弘化4(1847)年には者頭格に昇進した。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
「吉田藩普請奉行日記」(豊橋市 平成14年)は,豊橋市史々料叢書の第5集として刊行された。原本は,豊橋市美術博物館蔵で,天保14(1843)年から弘化4(1847)年までの5年間で,9冊に構成されている。「吉田藩普請奉行日記」は,吉田(豊橋)藩士の染矢兵左衛門直貞が吉田藩普請奉行勤役中に記した公的日記である。
普請奉行は,鉄砲組足軽を配下に従え,土木や営繕の業務を統括した。なかでも重要な仕事として,吉田大橋の修繕・架け替えがあった。染矢兵左衛門が勤役中の弘化2(1845)年に架け替えが行われ,幕府役人の接待などに奔走した様子がわかる。藩記録によると染矢兵左衛門直貞は,染谷家第4代とあり,天保5(1834)年に勝手掛となって以来,普請掛,勘定奉行を勤め,弘化4(1847)年には者頭格に昇進した。
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