よしだはんにっき
「吉田藩日記」(豊橋市 昭和55年)は,豊橋市史々料叢書の第1集として刊行された。豊橋市史々料叢書は,豊橋市史編集の過程で史料編(第5・6・7・8巻)を編集する際,収録できなかった史料の中で,未翻刻の重要史料を順次刊行するものである。「吉田藩日記」の原本は,旧吉田藩主大河内(松平)家所蔵のものであり,内容が藩の公事だけでなく,藩主の家族の私事まで記録されているところから御側日記の性格を持つものである。
史料叢書として刊行された「吉田藩日記」の収録範囲は,慶応4(1868)年正月から明治4(1871)年8月までの3年8か月間としている。この時期は,幕末・明治の一大変革期であり,当時の吉田藩主大河内(松平)信古(のぶひさ)は,寺社奉行・大坂城代など幕府の要職を歴任した譜代大名の重要な立場にありながら,討幕軍の征東に際しては一翼を担ったため,吉田藩は勤王と佐幕の渦中に巻き込まれた。こうした時期の記録のため,幕閣の中枢にあった藩主の苦衷や動揺もうかがわせる記事など,動乱期の様子を垣間見る記録となっている。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
「吉田藩日記」(豊橋市 昭和55年)は,豊橋市史々料叢書の第1集として刊行された。豊橋市史々料叢書は,豊橋市史編集の過程で史料編(第5・6・7・8巻)を編集する際,収録できなかった史料の中で,未翻刻の重要史料を順次刊行するものである。「吉田藩日記」の原本は,旧吉田藩主大河内(松平)家所蔵のものであり,内容が藩の公事だけでなく,藩主の家族の私事まで記録されているところから御側日記の性格を持つものである。
史料叢書として刊行された「吉田藩日記」の収録範囲は,慶応4(1868)年正月から明治4(1871)年8月までの3年8か月間としている。この時期は,幕末・明治の一大変革期であり,当時の吉田藩主大河内(松平)信古(のぶひさ)は,寺社奉行・大坂城代など幕府の要職を歴任した譜代大名の重要な立場にありながら,討幕軍の征東に際しては一翼を担ったため,吉田藩は勤王と佐幕の渦中に巻き込まれた。こうした時期の記録のため,幕閣の中枢にあった藩主の苦衷や動揺もうかがわせる記事など,動乱期の様子を垣間見る記録となっている。
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豊橋市議の長坂です。
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