ひかりにむかってさけ
「光に向かって咲け」(岩波書店 昭和61年)は,愛知県八名郡石巻村で明治24(1891)年に生まれた斎藤百合(1891~1947)(野口小つる)の生涯とその業績を,同じく盲人の女性栗津キヨ(1919~88)が綴ったものである。
著者の栗津キヨは,大正8(1919)年新潟県東頚城郡牧村原で生まれた。上京後,陽光会ホームに入所して,斎藤百合の設立した盲女子高等学園に入学。その後,斎藤百合と同じく,昭和18(1943)年東京女子大学校へ進学した。斎藤百合との死別の日まで,斎藤百合の身辺に居住して支援し合った。
著作では,斎藤百合の陽光会の事業に焦点をあて,事業の内容が特に盲女性の自立を促すものであったことを強調している。斎藤百合の思想,行為は,理想主義に支えられていた故に,幾多の挫折に見舞われながらも,それらを乗り越えていったことが記述されていて,意欲的な著作内容となっている。「光に向かって咲け」は,東京女子大学同窓会奉仕グループの手になる拡大本3巻が,昭和62(1987)年6月19日に刊行されている。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
「光に向かって咲け」(岩波書店 昭和61年)は,愛知県八名郡石巻村で明治24(1891)年に生まれた斎藤百合(1891~1947)(野口小つる)の生涯とその業績を,同じく盲人の女性栗津キヨ(1919~88)が綴ったものである。
著者の栗津キヨは,大正8(1919)年新潟県東頚城郡牧村原で生まれた。上京後,陽光会ホームに入所して,斎藤百合の設立した盲女子高等学園に入学。その後,斎藤百合と同じく,昭和18(1943)年東京女子大学校へ進学した。斎藤百合との死別の日まで,斎藤百合の身辺に居住して支援し合った。
著作では,斎藤百合の陽光会の事業に焦点をあて,事業の内容が特に盲女性の自立を促すものであったことを強調している。斎藤百合の思想,行為は,理想主義に支えられていた故に,幾多の挫折に見舞われながらも,それらを乗り越えていったことが記述されていて,意欲的な著作内容となっている。「光に向かって咲け」は,東京女子大学同窓会奉仕グループの手になる拡大本3巻が,昭和62(1987)年6月19日に刊行されている。
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