みかわだんじのうた

 「三河男児の歌」は,渥美郡西七根村(豊橋市西七根町)出身の彦坂幸太郎(1873~1907)が,愛知県第一師範学校の教員時代に,「渥美範友会」(渥美郡出身の在校生の親睦会)の求めに応じて明治38(1905)年ごろに作詞したものである。歌詞は10番からなり,1番は

 雲に聳(そび)ゆる段戸山  波は静けき渥美湾

 外に万里の海を見て 内に沃野(よくや)の富を占め

 流れも清き豊川や  矢作大平澪(みお)長し

である。作曲は,今までは彦坂幸太郎が同僚の安田俊高に依頼したとされてきたが,最近の調査で目賀田万世吉作曲の「日本海大海戦」のメロディーが流用され歌われてきたことが判明した。第2次世界大戦前の三河では,ほとんどの小学校で運動会などに歌われ,広く人々に流布していった。

 昭和58(1983)年,豊橋市牟呂町東里の豊橋市青少年センター敷地内に「三河男児の歌」の碑が建てられた。なお,岡崎市出身の地理学者志賀重昂に同名の漢詩があり,両者が混同されて彦坂幸太郎の名が埋もれた時期もあった。

 関連項目 - 彦坂幸太郎

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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