あんかるわ
「あんかるわ」は,北川透(本名磯貝満)(1935~ )によって,昭和37(1962)年に創刊され,平成2(1990)年84号をもって終刊した個人誌である。
1号~14号は北川透,浮海啓による同人誌的色彩が濃く,瀬川司郎,吉岡学,岡田啓,別所興一らが参加した。15号以降は北川の個人誌として独力で編集・発行した。「詩と思想の自立誌」を掲げて,独自の詩の領域を開拓するとともに,文芸思想,政治思想の両面で鋭い論調を展開した。特に,19号から48号にわたって掲載された北村透谷論は際立って注目された。20号からは菅谷規矩雄が寄稿したが,平成2(1990)年,菅谷が急死し,終刊号の84号は菅谷規矩雄追悼号になった。「あんかるわ」84号の軌跡は北川の豊橋在住とほぼ軌を一にしている。
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豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。
このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm
では!
「あんかるわ」は,北川透(本名磯貝満)(1935~ )によって,昭和37(1962)年に創刊され,平成2(1990)年84号をもって終刊した個人誌である。
1号~14号は北川透,浮海啓による同人誌的色彩が濃く,瀬川司郎,吉岡学,岡田啓,別所興一らが参加した。15号以降は北川の個人誌として独力で編集・発行した。「詩と思想の自立誌」を掲げて,独自の詩の領域を開拓するとともに,文芸思想,政治思想の両面で鋭い論調を展開した。特に,19号から48号にわたって掲載された北村透谷論は際立って注目された。20号からは菅谷規矩雄が寄稿したが,平成2(1990)年,菅谷が急死し,終刊号の84号は菅谷規矩雄追悼号になった。「あんかるわ」84号の軌跡は北川の豊橋在住とほぼ軌を一にしている。
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