愛知豊橋市長坂なおと のblog

最年少・無所属で2015年の豊橋市議会議員選挙に、新人トップ当選(全体8位)2019年現職トップで再選(同2位)。ブログ総アクセス数400万超。地元・豊橋のこと、地域のこと、商店街のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~

タグ:飽海(安久美)

わたむつえき  渡津駅は,古代東海道の駅名で「延喜式」に参河国三駅の一つとして「渡津」の名が見え駅馬10疋が置かれた。宝飯郡小坂井町に置かれたと考えられている。飽海河(豊川の古名)に接するため,ここより渡船により対岸(豊橋市牟呂町坂津から飽海町付近)に渡った ...

わかみやむら  八名郡若宮村は,戦国末期吉田(豊橋)城の外郭拡張に伴い,飽海(あくみ)村の百姓によって開発され,若宮八幡社にちなんで名付けた村である。八名郡若宮村の村高は,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分137石余,若宮社領3石余とある。「吉田領戸数調 ...

よしだはりこめん  吉田の張子面は,江戸末期吉田藩の下級武士の手内職に端を発するとされている。太田南畝(おおたなんぽ)(蜀山人)の「改元紀行」文中に「…童の弄(もてあそ)びもの多し,獅子の形,仮面の形,鄙(ひな)びたり」の記述があり,吉田宿で子どもの玩具として張 ...

よしだちょうしんめいしゃ  吉田町神明社は,吉田町(昭和12年吉田町,平成12年前田中町と改称)町内会が,昭和15(1940)年ごろ安久美(あくみ)神戸(かんべ)神明社を分祀したものである。 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 ...

よしだじょう  吉田(豊橋)城は,現在の豊橋公園とその周辺をはじめ,東は飽海(あくみ)町から旭町,南は曲尺手(かねんて)町から呉服町,西は関屋町に達する広大な城であった。その縄張りは豊川(とよがわ)を背に,本丸を基点に二の丸,三の丸を前面,側面に配したもので,半 ...

よしだ  吉田は豊橋の旧称である。その名は古く,天慶3(940)年に伊勢神宮の神戸が飽海(あくみ)郷に置かれ,その後この中に吉田御園を設置したとあることから,すでに平安時代に吉田と呼ばれていた地域があったことを示している。 一方,永正2(1505)年に牧野古白が築い ...

めいじしょきのとよはしのしょうがっこう  明治5(1872)年8月,学制が発布され,翌6(73)年10月,豊橋には第10中学区第1番小学関屋学校(関屋町悟真寺)・第2番小学[校名不詳](紺屋町神宮寺)・第3番小学立志学校(世古町竜拈寺(りゅうねんじ))が設立された。明治10 ...

むかしはなしかいえんきだん  「むかしはなし蟹猿奇談」(尾州名古屋・風月孫助他 文化4年)は,猿蟹合戦(さるかにかっせん)と桃太郎を合わせた仇討小説である。舞台は三河の国吉田(豊橋)である。桓武天皇の時代,伊勢国鈴鹿山に棲(す)む鬼神阿黒王を将軍坂上田村麻呂が ...

むかいやま  豊橋市向山町は,江戸期の仁連木(にれんぎ)村分地である。仁連木村の中央の東海道に沿った所に瓦町村が成立したのは,寛文4(1664)年で,その時,仁連木村分地となったものとされる。 仁連木村の村高は寛永期(1624~44)「三河国村々高附」に1096石余とある ...

まみづかむら  永正2(1505)年,牧野古白が馬見塚と飽海(あくみ)の地に今橋城を築いたという。また,馬見塚のもとの地は,後の吉田(豊橋)城の地である。今川氏親は,馬見塚の替え地として,渡辺平内次に三ツ相村120貫文をあてがったという。吉田方5か村は,寛永15(1638 ...

まつざか・ふくしろう(1833~92)  松坂福四郎は,飽海(あくみ)松坂(田中新田松坂の分家)2代松坂重禄(しげよし)の3男に生まれた。幼少より将棋を好み,10歳のころには地元で有名となった。13歳で江戸へ出て幕府の将棋所,大橋宗桂の門に入り,その年に初段となった。24歳 ...

まちうら10かしょ  町裏10か所というのは,江戸時代末期に吉田(豊橋)町地と仁連木(にれんぎ)村・花ヶ崎村・羽田(はだ)村などとの接点にできた新興住宅地10か所である。 談合宮と中世古は安久美神戸(あくみかんべ)神明社の氏子で,現在の豊橋市談合町・中世古町である。野 ...

べっしょかいどう  別所街道は,明治9(1876)年に,八名郡を縦貫する山手道・三ヶ日街道・川添道,大野(南設楽郡鳳来町大野)以北で金指街道を結んで,豊橋から本郷(北設楽郡東栄町本郷)へ通じる道が愛知県道として認定されたことに由来する。豊橋市西新町で東海道に別 ...

はっちょうしょうがっこう  豊橋市立八町小学校は,明治26(1893)年4月,豊橋町立第一尋常小学校・第二尋常小学校を八町に設置し,第四尋常小学校を旭町に設立して豊橋村より受託した児童を収容したことに始まる。明治26(1893)年6月,第一尋常小学校・第四尋常小学校を廃 ...

はちまんしゃ(あかもん)  (赤門)八幡社の創建は天智天皇10(671)年と伝えられる。吉田(豊橋)城築城後は城内若宮八幡といわれた。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,飽海(あくみ)村「八幡宮,社人久太夫,社領三石目」とある。「三河国二葉松」(元文5年)に, ...

にれんぎむらぶんち  仁連木村分地は,寛文4(1664)年,仁連木村地の中央を通る東海道沿いに瓦町村の分村が認められたため,東海道の南の地が分地されたとされる。「東海道分間延絵図」(元禄3年刊行)に仁連木村分地が記載されている。渥美郡仁連木村分地の高は,仁連木村 ...

なみきりふどうきょうかい  波切不動教会(金峯山修験本宗)の創立は,昭和9(1934)年で,開山は今泉光専師である。光専師は奈良県吉野山にある大峯山護持院・東南院の教師であったが,各地の霊場を行脚(あんぎゃ)し,青竜寺(豊橋市飽海町)に留まり,波切不動明王を授か ...

なかやま・おみふみ(1905~70)  那賀山乙巳文は,明治38(1905)年8月1日,豊橋で,父・那賀山浩,母・ゆさの子(異母兄が2人いた)として生まれた。20歳前後から,三河・遠江(とおとうみ)地方の郷土史研究に没頭した。浜松の内田旭に師事し,国史資料編纂室の岡本太郎に ...

とよはしむら  明治11(1878)年12月20日の郡区町村編制により,渥美郡餌指町・旭町・東新(ひがししん)町・西新(にししん)町・談合宮町・中瀬古町・新銭町・中柴町・飽海町・仁連木村分地が合併して豊橋村と改称した。明治22(1889)年10月1日,町村制が施行された。明治28 ...

とよはしのちょうめいのへんせん  「豊橋の町名の変遷」(豊橋文化協会 昭和51年)は,豊橋および東三河の土地と結びついた地名を町名の変遷をたどり4部構成で記述したものである。 「豊橋の町名の変遷」は「豊橋文化ニュース」に32回にわたって連載されたものである。吉 ...

とよはしちょう  豊橋町は,明治22(1889)年10月1日,町村制が施行され,船町・湊町・上伝馬町・八町・関屋町・本町・札木町・呉服町・曲尺手(かねんて)町・下町・鍛冶町・松葉町・萱町・花園町・三浦町・指笠町・新銭町・魚町・紺屋町・神明町・清水町・手間町・吉屋町の2 ...

とよはししんめいしゃのおにまつり  「豊橋神明社の鬼祭」(阿久美神戸神明社・豊橋鬼祭保存会)は,昭和29(1954)年3月12日,愛知県無形民俗文化財,同55(80)年1月28日,国の重要無形民俗文化財に指定された。 安久美神戸神明社(豊橋市八町通三丁目)の「鬼祭」は,年 ...

とよがわのとせん  平安時代の承和2(835)年には,飽海河の渡船を従来の2隻から4隻に増加させる太政官符が出された。これを「飽海の渡し」という。西側は宝飯郡小坂井町平井辺り(柏木の浜)と考えられ,東側ははっきりせず豊橋市の飽海・関屋・城海津・坂津などが推定され ...

つかさ・ただし(1893~1986)  司忠は,明治26(1893)年10月5日,司守職の2男として,渥美郡豊橋町八町(豊橋市八町通三丁目)の安久美神戸(あくみかんべ)神明社の社家に生まれた。明治39(1906)年,丸善に入社した。昭和4(1929)年丸善名古屋支店長となり,学術専門書 ...

だんごうじんしゃ  永正年中(1504~21),牧野古白が今橋城築城に当たって,元鍛冶町(かじまち)(豊橋市新吉町)に牛久保(豊川市牛久保町)から鍛冶職を移し,高皇産神(たかみむすびのかみ)など4柱を迎えて守護神としたという。「三州吉田神社仏閣記」(元禄6年)に,仁連 ...

たつまき  豊橋周辺では,地形などの関係からか,竜巻の発生が多い。昭和16(1941)年11月28日豊橋市大崎町付近から前田町方面に向かって発生した竜巻で死者が12人も出ている。 平成11(1999)年9月24日,午前11時から午後1時の間に豊橋市や蒲郡市,宝飯郡小坂井町などで4 ...

せいりゅうじ  瑞雲山青竜寺(高野山真言宗)の創立は,元禄元(1688)年で,開山は正源院権大僧都願泉道本師(俗名,福井将監)である。陰陽師として吉田(豊橋)藩主の母公の病気平癒(へいゆ)を祈り,四神の内,東方すなわち青竜の方に向かって祈願し,所願成就して母公の ...

すさのおじんじゃ(あくみ)  (飽海)素盞嗚神社は,古くは飽海村天王といわれ,万治4(1661)年創建された。古くから安久美(あくみ)神戸神明社の諸役はこの地の住民が奉仕している。 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 ...

しんよしだつちにんぎょう  新吉田土人形は,吉田孫吉に師事した西村茂治(1906~1997)が,従来の作風に満足できず,伏見系譜の吉田土人形に博多人形の趣を求めたものである。昭和2(1927)年,独立して東田(あずまだ)坂上(豊橋市東田町)に窯を築いた。 西村茂治の制作 ...

しょうりんじ(まつやま)  飽海山(橋北山)正林寺(曹洞宗)の創立は,弘長2(1262)年平重盛の養女栄耀尼(えいように)により創建された臨済宗寺院である。千体骨地蔵尊を本尊とする。正林寺の縁起(えんぎ)には「栄耀尼は,筑紫の地頭原田種猶に嫁し,一子花若丸を得た。 ...

じっそういん・こどう(?~1852)  実相院古道(円覚)は,渥美郡飽海(あくみ)村(豊橋市飽海町)の青竜寺5世で,本居大平(おおひら)に師事した歌人である。嘉永5(1852)年,家集「磯の藻屑」を刊行した。嘉永5(1852)年10月16日,示寂(じじゃく)した。吉田(豊橋)地方 ...

しかすがのわたし  志香須賀の渡しは,承和2(835)年の太政官符に飽海(あくみ)川の渡しとあったところで,豊川(とよがわ)の渡しである。東海道の要衝にあたり,古来知られていたが,特に名高くなったのは,天暦8(954)年,村上天皇が皇太后藤原隠子の70の賀のために,内裏 ...

くまのじんじゃ(いむれ)  (飯村)熊野神社の創建は明らかでないが,「飯村誌」に,「本村ハ古時飽海(あくみ)村ノ内ニテ年号干支不詳,吉田城主何某邸内ヲ広メンカ為メ其際立退サレ,本村ヘ居ヲ移シテ飯村ト改メタレハ,古時ヨリ本村ノ称ヲ用ヒ来レリト古人ヨリノ云ヒ伝ヘ ...

かわい・ろくろう(1902~76)  河合陸郎は,明治35(1902)年3月1日,渥美郡豊橋町(豊橋市飽海(あくみ)町)に白井又蔵の6男として生まれた。6歳の時,豊橋市札木町の叔母河合しげの養嗣子となった。大正5(1916)年八町高等小学校を卒業し,大阪で働き,YMCA夜間英語学校 ...

かいぞうじ(はいじ)  海蔵寺(真言修験)は,飽海神戸神明社の社僧寺であった。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,飽海村「海蔵寺,六軒・弐間半,供僧真言宗,平僧,御城中土手ノ上」とある。明治維新の際,廃却となった。 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のこ ...

おにまつり  安久美神戸(あくみかんべ)神明社は,天慶3(940)年の創建といわれる。平将門の乱が鎮定された報賽(ほうさい)として飽海(あくみ)郷が三河国新神戸として伊勢神宮に献じられた。この神領で行われる神事として,正月15日(2月15日に変更され,現在は2月11日)神楽 ...

おがさわら・ただとも(1599~1663)  小笠原忠知は,正保2(1645)年,水野忠善(ただよし)が岡崎に転封した後,豊後杵築(きつき)(杵築市)から吉田(豊橋)4万5000石に入封した。承応3(1654)年向山大池を造り,吉田城外堀に水を入れ,下水道を造った。明暦元(1655)年 ...

いまはし  豊川(とよがわ)は飽海(あくみ)川と呼ばれ,承和2(835)年の太政官符では飽海の渡しと呼ばれた。貞応3(1224)年ごろ,ここに架橋された橋を今橋と称したとされる。地名は飽海で,橋名は今橋であった。永正2(1505)年,牧野古白が飽海と狸塚(まみづか)(馬見塚) ...

いそのもくず  「磯の藻屑」(私家版 嘉永5年)は,飽海(豊橋市飽海町)の青竜寺住職,実相院古道の家集である。集名の由来の序歌を巻頭に,春46,夏33,秋52,冬18,恋19,雑37の計205首を収めて1巻としている。私家版として刊行された。巻首木記に「製本書肆(しょし)  ...

いけだ・てるまさ(1564~1613)  池田輝政は,永禄7(1564)年12月29日,池田恒興の2男として清洲に生まれた。天正18(1590)年,徳川家康の関東移封によって下総臼井(千葉県佐倉市)に転封した酒井家次にかわって,東三河4郡等15万2000石を領する吉田(豊橋)城主となっ ...

あくみむら  飽海の地名は,飽海河の渡しとして「類聚三代格」(承和2年)太政官符に現われる。「和名類聚鈔」(承平年間)の渥美郡6郷中の渥美であるとの説もある。しかし,伊勢神宮領の「本神戸廿戸号渥美神戸,新神戸十戸号飽海神戸,新加神戸十戸」の記述などから,渥美 ...

あくみのわたし  豊川(とよがわ)の河口は飽海河の渡しとして,極めて早い時代から渡船が設けられていた。交通量の増加によって,渡船が増加された。承和2(835)年の太政官府に「三河国飽海矢作雨河各四艘(そう),元各二艘,今加各二艘」とある。そのころ,現在の豊橋は飽海 ...

あくみにんぎょうじょうるり  「飽海人形浄瑠璃」(吉田文楽保存会)は,平成2年(1990)年3月26日,豊橋市無形民俗文化財に指定された。 吉田文楽は,古くは「飽海人形浄瑠璃」と呼ばれ,豊橋市飽海町に伝わる伝統芸能である。慶長年間(1596~1615),傀儡(くぐつ)人形を ...

あくみかんべしんめいしゃ  天慶3(940)年,平将門の乱が平定されたので,朱雀天皇により伊勢神宮へ安久美郷を神領として寄進された(三河国新神戸)。社伝によれば安久美神戸神明社は,この時,大宮司頼基の庶流藤原基守は磯部・河野・清水らを伴い神戸の司となり,この地 ...

あくみいせき  飽海遺跡は,豊橋公園(豊橋市今橋町)を中心におよそ東西1㎞,南北500mの範囲に広がる弥生時代から中世にかけての大規模な遺跡である。大部分は中世~近世の吉田(豊橋)城址と重なっており,吉田城の発掘調査に伴い調査が行われているが,遺跡の詳しい内容 ...

↑このページのトップヘ