愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議会議員選挙に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~

タグ:銀行

ゆーえふじぇいぎんこう  UFJ銀行は,平成14(2002)年1月に東海銀行と三和銀行(昭和8年,三十四銀行・山口銀行・鴻池銀行の合併により発足)が合併してできた。UFJ銀行の発足によって,東海銀行豊橋支店はUFJ銀行豊橋支店となったが,東海銀行の豊橋東支店は平成15(2003 ...

やまもと・さんたろう(1837~97)  山本三太郎は,天保8(1837)年8月18日,宝飯郡前芝村(豊橋市前芝町)の加藤六蔵正柔の2男に生まれた。宝飯郡下地村(豊橋市下地町)の製油業・山本家の養嗣子となる。文学を大田晴軒,武術を寺尾大之進に学んだ。明治13(1880)年から ...

もうり・よしひさ(1860~1941)  毛利祥久は,安政7(1860)年3月6日,周防国佐波郡上右田(かみみぎた)村(山口県防府市)に毛利元亮の子として生まれた。明治18(1885)年,姉婿・毛利内匠藤内死去後家督を相続し,百十国立銀行頭取となった。明治12(1879)年から同13(8 ...

めいじぎんこう  明治銀行は,明治29(1896)年第百三十一国立銀行(本店大阪)名古屋支店の業務を継承して設立され,初代頭取に神野金之助が就任した。明治40(1907)年豊橋に支店を設置したが,昭和7(1932)年3月,明治銀行・額田銀行の豊橋支店は預金者の取り付けを受け ...

みつびしとうきょうゆーえふじぇいぎんこう  三菱東京UFJ銀行(本店・東京)は,平成18(2006)年1月に東京三菱銀行とUFJ銀行の合併によってできた銀行である。この合併によって豊橋市駅前大通三丁目にあったUFJ銀行豊橋支店(旧東海銀行豊橋支店)は三菱東京UFJ銀行豊橋支 ...

みついすみともぎんこう  三井住友銀行は,昭和22(1947)年2月,大阪銀行(明治28年個人創業,同45年住友銀行設立,昭和20年大阪銀行と改称)豊橋特別支店として豊橋市花田町石塚に開設したのが始まりである。昭和23(1948)年11月には豊橋支店となり,同25(50)年10月豊 ...

みずほぎんこう  みずほ銀行は,平成14(2002)年4月に第一勧業銀行(日本勧業銀行が昭和46年第一銀行と合併して発足)と富士銀行と日本興業銀行が経営を統合して設立された銀行である。第一勧業銀行豊橋支店がみずほ銀行豊橋支店となった。 - - 豊橋市議の長坂です。 ...

みうら・へきすい(1841~1915)  三浦碧水は,天保12(1841)年11月29日,吉田(豊橋)藩札元三浦深右衛門の2男に生まれた。幼名を陽次郎といい,字(あざな)を温夫と称した。文久のころ(1861~64),江戸に出て幕臣高畠眉山について西洋流兵学・砲術を学ぶ。慶応4(1868) ...

まつした・てつさぶろう(1853~1900)  松下鉄三郎は,嘉永6(1853)年8月21日,吉田(豊橋)藩士松下半助の長男に生まれた。明治6(1873)年,上京して中村道太経営の中村屋洋品店に奉公した。明治7(1874)年,中村屋が丸屋(丸善)と合併したので丸屋の店員となった。明 ...

ひらやま・じんた(1840~1900)  平山甚太は,天保11(1840)年1月13日,吉田(豊橋)藩士中村哲兵衛の2男として生まれたが,吉田藩士平山清助の養嗣子となった。第八国立銀行を設立した中村道太の弟である。 明治3(1870)年,横浜ではじめて花火を打ち上げたといわれる ...

ひらの・けんじ(1900~85)  平野賢治は,明治33(1900)年8月20日,宝飯郡前芝村(豊橋市前芝町)に生まれた。昭和6(1931)年,豊橋市北島町に豊橋飼料合名会社を創立し,同12(37)年豊橋市牟呂町扇田に移転した。昭和19(1944)年,豊橋飼料株式会社社長に就任した。昭 ...

⇒ 三遠銀行 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://nagasa ...

ぬかびる  額田銀行ビルは,昭和2(1927)年12月,豊橋市松葉町に額田銀行豊橋支店として建設された。鉄筋コンクリート造り5階建ては,豊橋市最初の高層ビルで「額ビル」と呼ばれ,第2次世界大戦後は激動の昭和を語る建物として市民に親しまれた。 昭和7(1932)年3月,津 ...

ぬかたぎんこう  額田銀行は,明治29(1896)年岡崎に設立された。大正12(1923)年に豊橋支店を設置し,昭和2(1927)年12月,旧停車場通(常盤通り)と萱町線の交差点に,敷地404㎡,地下1階・地上5階,延べ床面積1892㎡の鉄筋コンクリート造りの豊橋支店を建設した。額 ...

にほんかんぎょうぎんこう  明治30(1897)年尾三農工銀行が創業され,同45(1912)年豊橋市中八町に豊橋支店を開設した。大正14(1925)年に愛知県農工銀行と改称したが,昭和19(1944)年日本勧業銀行と合併した。日本勧業銀行豊橋支店は,昭和37(1962)年豊橋市神明町に ...

なごやぎんこう  名古屋銀行は,昭和24(1949)年2月共和殖産として岡崎に設立され,同24(49)年5月豊橋営業所を豊橋市花田町稗田(豊橋市駅前大通一丁目)に開設,同年6月豊橋支店に昇格した。昭和24(1949)年7月,名古屋殖産に商号を変更し,同年9月本店を名古屋に移転 ...

なかむら・よしへい(1880~1963)  中村与資平は,明治13(1880)年2月8日,静岡県長上郡天王新田(浜松市天王町)に生まれた。東京帝国大学工学部建築学科を卒業し,辰野金吾に師事,第一銀行京城支店(韓国銀行本店)の設計を担当し,渡韓した。明治45(1912)年辰野から ...

なかむら・みちた(1836~1921)  中村道太は,天保7(1836)年3月10日,吉田(豊橋)藩士中村哲兵衛の長男に生まれた。慶応2(1866)年,福沢諭吉門下となる。明治5(1872)年,福沢諭吉の推挙で丸屋商会(丸善)に社長格で入社した。その後,郷里豊橋で,明治8(1875)年 ...

なかむら・きよゆき(1822頃~86)  中村清行は,吉田(豊橋)藩士成瀬正普の第4子として生まれ,中村家を継いだ。通称荘助,吉田藩代官を務めた。明治元(1868)年大総督有栖川宮の東征に従って東京に留まり,大蔵省に出仕,権大丞となった。統計頭で退職し,第十五国立銀 ...

ながい・せんじゅう(1850~1915)  永井仙十は,嘉永3(1850)年3月10日,宝飯郡下地村(豊橋市下地町)で生まれた。家業は醸造業を営んでいたが,明治6(1873)年下地村学校世話方3人(永井仙十・内藤八郎兵衛・長尾賢保)の1人に選ばれた。明治25(1892)年豊橋商業会議 ...

とよはしらいどうひょうき  「豊橋雷動ひょう記」(三興社 昭和11年)は,参陽新聞社主事の近藤鹿堂(健吉)が,「喧嘩は停滞腐敗する時代を促進洗滌(せんじょう)し,生動する波瀾(はらん)・刺激である」と定義して,明治維新から昭和11(1936)年までの豊橋の動向を相対立 ...

とよはししょうこうかいぎしょ50ねんし  「豊橋商工会議所五十年史」(豊橋商工会議所 昭和18年)は,豊橋地方商工業の発達を展望し,豊橋商工会議所50年間の活動の状況を尋ねることを目的に発行された。前編で日本における商工会議所の沿革という歴史的命題から説き起こし ...

とよはしぎんこう  豊橋銀行は,明治25(1892)年9月豊橋魚町に設立された。明治18(1885)年東本願寺系の豊橋真利宝会が豊橋本町に資本金5万円で開業したものが発展的に解散して豊橋銀行となったものである。初代頭取は杉田権次郎であった。豊橋銀行は,明治29(1896)年に ...

ときわどおり  常盤通りは,豊橋市広小路一丁目の「広小路」より同松葉町一丁目(城海津跨線橋の延長道路)までの豊橋市道(松葉町・広小路8号線)の商店街の通りである。 明治21(1888)年9月1日,東海道線豊橋停車場の開業により豊橋上伝馬町から停車場までの延長330間・ ...

とうかいぎんこうし  「東海銀行史」(株式会社東海銀行 昭和36年)は,昭和16(1941)年,金融統制下にあった愛知県の株式会社愛知銀行・株式会社伊藤銀行・株式会社名古屋銀行の3行が合併した。本店のほか120支店・20出張所を持つ株式会社東海銀行となってから昭和35(19 ...

とうかいぎんこう  東海銀行は,金融統制が戦時態勢(非常時)一色に塗り替えられようとしているとき,昭和16(1941)年6月9日,名古屋地区が本店銀行である愛知銀行・名古屋銀行・伊藤銀行の3行が合併して設立された。 愛知銀行は,明治28(1895)年3月8日,第十一国立銀 ...

ちゅうきょうぎんこう  中京銀行は,昭和22(1947)年12月に宝無尽(昭和5年8月名古屋で設立)豊橋出張所が豊橋市西八町に開設されたことに始まる。昭和23(1948)年7月太道無尽(昭和2年10月三重殖産無尽設立,同16年10月八紘無尽,同23年1月太道無尽と商号変更)から営業 ...

ちゅうおうみついしんたくぎんこう  中央三井信託銀行は,三井トラストフィナンシャルグループにおけるリテール信託業務・不動産業務・証券代行業務などを担う信託銀行である。豊橋においては,昭和38(1963)年に中央信託銀行が支店を開設,同58(83)年に三井信託銀行が支 ...

ちいきふくしせんたー  地域福祉センターは,総合福祉センター「あいトピア」を中心に,地域福祉活動の拠点として市内3地域(八町通・佐藤町・大清水町)に設立され,社会福祉法人豊橋市社会福祉協議会に委託し管理運営されている。 八町地域福祉センター(豊橋市八町通五 ...

たかはし・こじゅうろう(ひさすけ)(1845~1911)  高橋小十郎(久助)は,弘化2(1845)年1月3日,渥美郡高塚村(豊橋市高塚町)の小野田久二郎の2男に生まれた。安政元(1854)年,吉田(豊橋)船町の回漕肥料店高橋小十郎家に奉公した。明治3(1870)年主人高橋小十郎 ...

たかはし・こじゅうろう(しげひこ)(1881~1943)  高橋小十郎(茂彦)は,明治14(1881)年12月24日,八名郡賀茂村(豊橋市賀茂町)の竹尾準の2男に生まれた。札幌農学校を卒業し,明治40(1907)年豊橋市船町の肥料問屋高橋小十郎久助の養嗣子となった。明治45(1912) ...

たいようこうべぎんこう  昭和24(1949)年6月,日本無尽株式会社が飯田支店豊橋会場を豊橋市花田町守下に設置し,翌25(50)年3月豊橋支店とした。昭和26(1951)年6月豊橋市松葉町の額田ビルに移転した。昭和26(1951)年10月に日本相互銀行と商号を変更し,同41(66)年 ...

だいはちこくりつぎんこう  第八国立銀行は,明治10(1877)年2月中村道太・中尾十郎・三浦碧水らにより,国立銀行条例による開業免許を得て,同10(77)年3月関根録三郎を頭取として開業した。資本金は10万円で豊橋本町で営業した。 国立銀行は,明治14(1881)年末には全 ...

だいさんぎんこう  第三銀行は,大正元(1912)年10月熊野共融合資会社が三重県木本町に創立したのが最初である。大正5(1916)年5月熊野無尽合資会社に改組,さらに昭和2(1927)7月三重県無尽株式会社に改組した。昭和26(1951)年7月豊橋市駅前大通三丁目に豊橋支店を開 ...

だいいちどおり  第一通りは,大正3(1914)年9月,豊橋駅前東側を南北に開通した豊橋市道萱町線(萱町通り)である。現在の豊橋市道(上伝馬町・西小田原1号線)の一部区間(豊橋市萱町地内)の道路で,第一銀行および第一映画劇場(後の豊橋東映)から通称名となる。なお ...

だいいちぎんこう  第一銀行は,明治5(1872)年三井小野銀行として設立され,翌6(73)年国立銀行条例により第一国立銀行となり,同29(96)年株式会社第一銀行に改組した銀行である。 第一銀行豊橋支店は,大正12(1923)年に起きた取り付け騒ぎをきっかけに起こった豊橋 ...

だいいちえいがげきじょう  第一映画劇場は,昭和20(1945)年末,空襲によって焼失した常盤(ときわ)通りの帝国館跡に木造平屋建てで開館した。終戦後数年間は,市民が押し寄せて超満員の盛況であった。昭和25(1950)年,戦災復興土地区画整理で豊橋市萱町に木造2階建ての ...

そうごうふくしせんたー  昭和26(1951)年社会福祉法が施行され,豊橋市役所内に豊橋市福祉事務所が設置された。昭和46(1971)年豊橋市福祉センター(豊橋市八町通五丁目)を豊橋税務署跡(昭和37年豊橋市吉田町に移転)に開設,福祉事務所・福祉協議会・善意銀行などが移 ...

ぜんいぎんこう  豊橋善意銀行は,「人に役立ててもらいたい」と寄託された,いわゆる善意の金品を預かり,福祉のために有効に活用することを目的として,昭和39(1964)年7月1日,愛知県内で4番目の善意銀行(財団法人)として設立された。 昭和40年代に入り,ボランティ ...

せきね・ろくさぶろう(1840~90)  関根録三郎は,天保11(1840)年1月20日,吉田(豊橋)藩士関根軍蔵美成の3男に生まれた。通称を録三郎,はじめ,致堂と号し,のち痴堂と改めた。長兄が没し,次兄は長塩氏を継いだため,父の後を継ぐことになった。江戸藩邸の学問所で小 ...

せきぐち・たかじ(1863~1934)  関口高次は,文久3(1863)年12月,吉田(豊橋)藩士能勢一也の3男として生まれた。幼くして,吉田藩士目付役関口良の養子となった。明治8(1875)年養父の厳命で大阪の山田俊郷の医学塾に学んだが,同10(77)年豊橋に第八国立銀行が設立 ...

するがぎんこう  駿河銀行は,明治23(1890)年2月資産会社として創立し,同45(1912)年7月に駿河銀行と改称した。昭和20(1945)年までに20余の銀行・信用組合を合併した。昭和41(1966)年1月豊橋市駅前大通二丁目に豊橋支店を開設したが,平成9(1997)年5月に閉鎖した ...

すずき・きょういち(1894~1969)  鈴木亨市は,明治27(1894)年5月24日,宝飯郡大村(豊橋市大村町)で生まれた。大正8(1919)年東京帝国大学法学部を卒業し,日本銀行へ入行した。昭和18(1943)年日本銀行名古屋支店長から東海銀行頭取に転じ,同44(69)年まで頭取, ...

すずき・えきじ(1851~1928)  鈴木駅次は,嘉永4(1851)年8月28日,吉田(豊橋)藩士杉本百助の2男として生まれた。幼名は百合吉,慶応元(1865)年鈴木直之進の養嗣子となり,時習館学問所素読方見習となった。19歳の時,駅次と改名,学問所助教となる。明治4(1871)年 ...

すぎた・ごんじろう(1844~95)  杉田権次郎は,弘化元(1844)年,吉田三浦町(豊橋市新本町)に生まれた。明治15(1882)年豊橋魚鳥株式会社相談役,後に監査役に就任し,同18(85)年豊橋真利宝会を設立,同25(92)年豊橋銀行に改組し,初代頭取に就任した。明治26(18 ...

じんのしんでん  牟呂村地先の富久縞(ふくしま)新田・明治新田の前面に広がる広大な寄州(よりす)は,干拓の適地として早くから注目されていた。明治18(1885)年,愛知県令として赴任した勝間田稔は,旧山口藩老で第百十国立銀行(赤間関銀行)頭取の毛利祥久に,この干拓事 ...

しらい・なおじ(1849頃~1918)  白井直次は,八名郡金沢村(宝飯郡一宮町)の佐久間家に生まれたが,豊橋札木町の白井家の養嗣子となった。明治22(1889)年豊橋町収入役に就任,同26(93)年豊橋商業会議所の創立委員,翌27(94)年豊橋米麦取引所設立発起人・理事となっ ...

しょうせつにほんぎんこう  「小説日本銀行」(雑誌エコノミスト 昭和37年)は,城山三郎(本名杉浦英一 1927~ )の経済長編小説である。昭和37(1962)年1月~12月「エコノミスト」に連載された。昭和21(1946)年から同24(49)年にいたる第2次世界大戦後の破綻に瀕( ...

しょうこうかいぎしょ  豊橋商工会議所は,明治26(1893)年3月,豊橋商業会議所として全国で20番目に設立された。豊橋商業会議所は,豊橋町札木町豊橋銀行内に事務所を設置し,以後30年間に関屋,西八町,上伝馬など12回事務所を移転した。大正15(1926)年,豊橋市花田町 ...

じゅうろくぎんこう  十六銀行は,明治10(1877)年第十六国立銀行として岐阜に創立され,同29(96)年株式会社十六銀行に改組した。明治年間に岐阜・岐阜倉庫濃厚など,大正・昭和年間に竹鼻など戦前までに17行を合併・買収し,昭和62(1987)年に岐阜中央信用組合,平成10 ...

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