愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議会議員選挙に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~

タグ:西郷

わちがやむら  八名郡月ヶ谷村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に256石,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分252石余,若王子社領2石,万福寺領2石とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数33,人数134であった。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6 ...

わちがやじょう  月ヶ谷城は,豊橋北部方面で勢力を誇った西郷氏の城の一つである。城址(じょうし) は正宗寺の南西裏山にあたり,遺構として曲輪(くるわ),堀,土塁,井戸,土止め用のためと思われる石積みが確認できる。縄張りは,南東方面に出曲輪を築くなど本坂峠方面か ...

わがまちはねい  「わが町羽根井」(豊橋市立羽根井小学校 昭和62年)は,移り変わる羽根井校区の歴史を豊橋市立羽根井小学校の職員が執筆したものである。 内容は,校区の自然や歴史などを資料や聞き取りをもとにまとめたものであり,明治以降の羽根井の町づくりと変遷に ...

りんざいじのきょうもん  「臨済寺の経文」8点(臨済寺蔵)は,昭和39(1964)年5月19日,豊橋市有形文化財(文書・典籍)に指定された。 「臨済寺の経文」は,吉田(豊橋)藩主小笠原家から菩堤寺臨済寺(豊橋市東田町西郷)に奉納されたもので,経文8点は,吉田藩主小笠 ...

むらまつ・ゆういち(1926~2003)  村松裕一,本名良(はじめ)は,大正15(1926)年4月30日,八名郡石巻村小野田(豊橋市石巻小野田町)で生まれた。小学4年生の時に病気にかかり,長い闘病生活の後にクリーニング店を営む。そのかたわら,熊谷武至の短歌会で学び,また,大 ...

みこめむら  明治11(1878)年12月20日の郡区町村編制により,八名郡多米(ため)村(多米村・赤岩村が合併)・三輪村(金田村・神郷村が合併)と改称した。明治22(1889)年10月1日,町村制施行にあたって,多米村・三輪村は合併して美米村と改称した。明治25(1892)年12月2 ...

まんぷくじ(すせ)  月ヶ谷山万福寺(臨済宗妙心寺派)の創立は貞和3(1347)年,開山は日顔禅師の3世の法孫にあたる大摸範和尚で,古来正宗寺末陽徳派に属していた。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,月ヶ谷村「月ヶ谷山万福寺,嵩山正宗寺末寺,平僧,客殿六間・ ...

まるち・こうのすけ(1886~1972)  丸地幸之助は,明治19(1886)年12月8日,渥美郡東田村(豊橋市東田(あずまだ)町)西郷に生まれた。古城と号した。大正3(1914)年から同10(21)年,名古屋新聞豊橋支局長を務め,同13(24)年,豊橋市会議員に当選した。昭和4(1929) ...

まつだ・しかぞう(1871~1956)  松田鹿三は,明治4(1871)年5月20日,尾張藩士松田堅治(1837~1900)の2男として名古屋で生まれた。長男が夭死したため,嗣子として育てられた。名古屋で関治小学校に入学するが,父・松田堅治が渥美郡役所に転勤したため,明治12(1879 ...

ぼだいじ  蓮華山菩提寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,嘉慶年間(1387~89),開山は遠峯座元と伝えられ,古来正宗寺末松寿派に属していた。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,中山村「禅宗,蓮花山菩提寺,嵩山正宗寺末寺,平僧,客殿五間半・四間半」とある。本尊は ...

ひらのむら  平野村は,慶長9(1604)年ごろ,西郷村から分立したとされる。八名郡平野村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に301石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分519石余,日吉神社領1石とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数88,人数 ...

ひよしじんじゃ(はぎひら)  (萩平)日吉神社の創建は明らかでないが,西郷七か村の惣氏神(そううじがみ)として大山咋命(おおやまくいのみこと)を祀ったものである。長承3(1134)年藤原成忠の2男晴蓮が天台宗白星山大陽寺を建立し,山王社を佐井天神の社地に建てて山内鎮 ...

ひがしみかわのせんごくじだい  「東三河の戦国時代」(「東三河の戦国時代」刊行会 昭和60年)は,豊橋技術科学大学教授の横尾義貫が,地域計画は地域固有の風土と歴史に対する配慮がなければならないとの観点から,大名領国制が成立する東三河の歴史を書いたものである。 ...

はぎひらむら  萩平村は,慶長9(1604)年ごろ,西郷村から分立したとみられる。八名郡萩平村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に150石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分386石余,日吉社領1石とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数67,人 ...

はぎひらさんじょう  萩平山城は,豊橋北部方面で勢力を誇った西郷氏の城の一つである。西郷氏の本城の五本松城(豊橋市石巻中山町)は西を除く三方を連なる山に囲まれているが,開口部である西方にも山が一つあった。この山に築かれたのが萩平山城である。 遺構としては山 ...

にしがわむら  八名郡西川村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に404石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分790石余,日吉社領1石とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数101,人数393であった。永正年間(1504~21)西郷氏が築いたと伝える西 ...

にしがわじょう  西川城は,豊橋北部方面で勢力を誇った西郷氏の城の一つである。数ある西郷氏の城砦群の中にあって西川城は最も西,五本松城方面から連なる丘陵先端部に位置している。「三河国二葉松」(元文5年)に,「西郷西川村古城,天文年中西郷孫三郎種員,永禄年中 ...

なるさわむら  成沢村は,慶長9(1604)年ごろ,西郷村から分立したとされる。八名郡成沢村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に47石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分57石余とある。「吉田藩戸数調」(安政5年)によれば,家数12,人数44であった。神社 ...

なみのうえむら  八名郡浪之上村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に195石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分222石余とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家数24,人数110であった。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,浪ノ上村「禅宗浪 ...

なかやまむら  中山村は,慶長9(1604)年ごろ,西郷村から分立したとみられる。八名郡中山村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に「西郷村今ハ中山ト云」156石余,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分231石余とある。「吉田領戸数調」(安政5年)によれば,家 ...

どうやまとりで  堂山砦は,豊橋北部方面で勢力を誇った西郷氏の城の一つである。医(くすし)神社(豊橋市石巻中山町)の北東に,三段の削平地が確認できるが,これは大永2(1522)年に焼失した太陽寺の跡である。「八名郡誌」によれば,堂山城はこの太陽寺跡とされるが定か ...

だんじょうとりで  弾正砦は,豊橋北部方面で勢力を誇った西郷氏の城の一つである。位置を特定できないが,豊橋市石巻中山町の採石場付近にあったとされる。遺構はなく,規模なども不明である。 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうござい ...

たまがわむら  明治11(1878)年12月20日の,郡区町村編制により,八名郡神ヶ谷村(明治8年7月神ヶ谷村は森岡新田を合併)・高井村・長楽村・和田村は合併して玉川村と改称した。明治22(1889)年10月1日,町村制施行,同39(06)年7月1日,多米(ため)村・三輪村・玉川村・ ...

たまがわしょうがっこう  豊橋市立玉川小学校は,明治6(1873)年6月,第9中学区第37番小学和田学校として,和田村御所の竜泉寺を校舎として発足したことに始まる。明治9(1876)年,校地を高井村東野に移転し,同12(79)年10月,八名(やな)郡第32番小学玉川学校と改称した ...

すわひがしとりで  諏訪東砦は,豊橋北部方面で勢力を誇った西郷氏の城の一つである。広島市立中央図書館浅野文庫所蔵「諸国古城之図」の中の「三河五本松」で「タイトコロ」と記された場所の遺構と思われる曲輪(くるわ),堀切,土塁が確認できる。その規模は50m×20m程度 ...

すわじんじゃ(なかやま)  (中山)諏訪神社は,大永7(1527)年五本松城主西郷弾正左衛門尉信貞が建御名方命(たけみなかたのみこと)を勧請したと伝える。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,中山村「諏訪大明神,村中支配」とある。延宝6(1678)年吉田(豊橋)城主 ...

すせむら  明治11(1878)年12月20日の,郡区町村編制により,八名郡嵩山村・長彦村・月ヶ谷(わちがや)村は合併して嵩山村と改称した。明治22(1889)年10月1日,町村制施行,同39(1906)年7月1日,多米(ため)村・三輪村・玉川村・嵩山村・西郷村は合併して石巻村と改称し ...

すせむら  八名郡嵩山村の地名は,正宗寺の開山日顔禅師が中国の少林寺畔の嵩山(すうざん)に似ているとしたことに由来するとされる。八名郡嵩山村の村高は,「三河国村々高附」(寛永期)に670石,「旧高旧領取調帳」(明治元年)に豊橋藩領分653石余,白土社領3石,正宗寺 ...

すずき・へいごろう(1847~1921)  鈴木平五郎は,弘化4(1847)年12月7日,八名郡萩平村(豊橋市石巻萩平町)の杉村家に生まれた。4歳の時,同村の鈴木平八の養子となった。明治5(1872)年西郷郷学校幹事となり,同7(74)年西郷学校教員(明治8~13年首座教員)となった ...

すさのおじんじゃ(まごし)  (馬越)素盞嗚神社(豊橋市石巻本町[馬越])の創建は明らかでないが,永享9(1437)年の棟札があり,裏面に寛正3(1462)年「為守右馬尉」とあり,牧野氏の一族の造立と考えられる。また,享禄5(1532)年西郷孫四郎信員(のぶかず)の棟札を ...

すさのおじんじゃ(はったがや)  (八反ヶ谷)素盞嗚神社は,天正元(1573)年八反ヶ谷村(豊橋市下条西町[八反ヶ谷])の産土神(うぶすながみ)として創建された神社である。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,八反ヶ谷村「天王,祢宜小太夫」とある。 - - 豊橋 ...

すさのおじんじゃ(いぶみ)  入文(豊橋市石巻小野田町[入文])の素盞嗚神社の創建は明らかでないが,棟札の最も古いものが延宝8(1680)年「奉建立牛頭(ごず)天王西郷ノ内入文村」とある。「三河国二葉松」(元文5年)に,「入文村天王社,除地二石,神主作之右衛門」と ...

しんめいしゃ(ひらの)  平野(豊橋市石巻平野町)など西郷7か村は,明治5(1872)年1村1社と定められる以前は萩平(豊橋市石巻萩平町)鎮座の西郷惣社日吉神社を7か村共同の氏神としていた。平野は明治22(1889)年神社の社殿を建てたが神社新設は許可にならず教会所と ...

しらつちしゃ  白土社(豊橋市嵩山町[嵩山])の創建は,嘉暦年間(1326~28)と伝えられ,大己貴命(おおなむちのみこと)を祀る嵩山村の産土神(うぶすながみ)である。もっとも古い棟札に「奉勧請白土大明神鎮座所,天正六戊寅年(1578)九月二十八日」とあり,裏面に「地頭 ...

しょうなんちゅうがっこう  石巻村・賀茂村・金沢村組合立祥南中学校は,昭和22(1947)年4月,6・3制移行に伴い,旧石巻公民学校校舎を使用して,石巻村の玉川小学校・三輪小学校(昭和30年石巻小学校と改称)・嵩山(すせ)小学校・西郷小学校,賀茂村の賀茂小学校,金沢村 ...

しょうじゅうじ  嵩山正宗寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,由緒書によれば貞和元(1345)年であるが,永仁年中(1293~99)を起源としている。開山の日顔禅師は宋僧であり,地形が中国の嵩山(すうざん)(中国河南省登封県)に似ていることから,山号を嵩山とし,寺名は禅師が ...

しょうえんじ  瑠璃山正円寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,「寺譜」によると,大宝2(702)年,持統上皇が三河行幸の時,薬師如来の像を刻ませたことに始まる。往古真言宗であったが,延文年中(1356~61),正宗寺2世方外和尚が臨済宗に改めた。開基は方外和尚,開山は南周 ...

じょううんじ  興久山乗運寺(法華宗)は,文明11年(1479)年の創立で,開山は鷲津本興寺(湖西市)5代日暹(にっせん)聖人である。開基は,西郷弾正左衛門の一門で郷士中村掃部助である。乗運寺は中村家の菩提寺として建立された。本尊は久遠常住円輪具足題目(木像)であ ...

しーてぃーてぃー  CTTは,コミュニケーション豊橋市北部テレビジョンの愛称で,平成4(1992)年,旧豊橋市北部農協(JA豊橋)が,従来の有線放送から転換して運営しているケーブルテレビジョンである。豊橋市の北部地域の石巻中学校区(石巻小学校・玉川小学校・賀茂小学校 ...

さいごうむら  明治11(1878)年12月20日の郡区町村編制により,八名郡中山村・萩平村・平野村(中野田新田を合併)・西川村・小野田村(入文村・成沢村が合併して改称)・馬越村となった。明治22(1889)年10月1日,町村制施行にあたって,中山村・萩平村・平野村・西川村 ...

さいごうのむかしばなし  「西郷のむかし話」(西郷郷土史会 昭和61年)は,西郷郷土史会の16人で編集・発行したものである。歴史編には戦国時代の西郷氏,むかし話編には豊橋市石巻中山町・石巻萩平町・石巻西川町・石巻小野田町の69の話のほかにそれぞれの町の地名あれこ ...

さいごうしょうがっこう  豊橋市立西郷小学校は,明治5(1872)年,西郷郷学校が萩平村(豊橋市石巻萩平町)の竜泉寺に設けられ,翌6(73)年6月,第9中学区第36番小学西郷学校として開校したことに始まる。明治9(1876)年,西郷学校は第9中学区小学萩平学校と改称し,成沢 ...

さいごうしこうぼうぜんし  「西郷氏興亡全史」(歴史調査研究所 平成6年)は,小林貞美と牧野登によって著作された。 西郷氏は,発祥の地を肥前国高来(たかき)郡西郷(長崎県南高来郡瑞穂町)としている。足利一門の仁木義長に従って三河に移り住んだ西郷氏は,仁木氏の ...

⇒ 西郷清員 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog http://nagasa ...

さいごうのつぼね(?~1589)  西郷局は,名前をお愛といい,母は西郷正勝の女(むすめ)で,父は戸塚忠春といわれる。西郷局は従兄弟の西郷義勝に嫁したが,元亀2(1571)年西郷義勝は戦死したので,伯父の西郷清員(きよかず)のもとに身を寄せていた。天正6(1578)年西郷局 ...

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さいごう・きよかず(?~1594)  西郷清員は,西郷正勝の子として生まれた。西郷氏は,肥前高来(たかき)郡西郷(長崎県南高来郡瑞穂町西郷)が発祥の地である。足利尊氏の将仁木義永が三河の守護であったときの守護代であったと伝えられる。 大永3(1523)年祖父の西郷正 ...

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ごほんまつじょう  五本松城は,豊橋北部方面で勢力を誇った西郷氏の本城である。西郷氏は,石巻中山地区を中心に城砦(じょうさい)群を築いたが,この城は唯一平地部に位置する。この城の様子を伝える広島市立中央図書館浅野文庫所蔵「諸国古城之図」の中の「三河五本松」に ...

こうじょう  高城は,豊橋北部方面で勢力を誇った西郷氏の城の一つである。この城の様子を伝える絵図として広島市立中央図書館浅野文庫所蔵「諸国古城之図」の中の「三河五葉」がある。 五葉城は,豊橋市と新城市の境の新城市富岡に所在し,東名高速道路沿いの大原調整池( ...

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