愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議会議員選挙に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~

タグ:羽田野敬雄

豊橋市議の長坂です。図書館職員の本気です。さて、豊橋の図書館で大発見がありました。ライブドアニュース@livedoornews【本物と認定】信長、秀吉らの書状を確認 江戸時代の私設図書館が所蔵https://t.co/ygG9ij4SGL織田信長が家来の動向を探るよう命じた朱印状や、豊臣秀吉 ...

るいだいみかわかしゅう  「類題参河歌集」(三河新堀深見藤吉 慶応2年)は,竹尾正久の代表編集で寺部宣光,中山繁樹,竹尾正久,村上忠順,釈公阿の共選である。半紙本2巻2冊,上61丁,下53丁,作者は巻末名簿から497人,春夏秋冬恋雑部で和歌1680首,施頭歌6首,長歌7首 ...

むらまつ・ゆういち(1926~2003)  村松裕一,本名良(はじめ)は,大正15(1926)年4月30日,八名郡石巻村小野田(豊橋市石巻小野田町)で生まれた。小学4年生の時に病気にかかり,長い闘病生活の後にクリーニング店を営む。そのかたわら,熊谷武至の短歌会で学び,また,大 ...

むかしはなし  「昔はなし」(豊橋新聞社 昭和33年)は,豊橋市札木町の料亭「千歳楼」の主人・長坂理一郎(ながさかりいちろう)(1870~1961)が,昭和31(1956)年正月から翌32(1957)年暮まで2年間にわたって豊橋新聞に連載(豊橋新聞の渡辺登喜雄が口述筆記)したもの ...

みかわのくにめいしょずえ  「三河国名所図絵」(愛知県教育会 昭和9年)は,三河国の名所について,その歴史を絵と文で説明したものである。吉田(豊橋)上伝馬の金物商・夏目可敬(1807頃~62)が,弘化元(1844)年から嘉永4(1851)年の8年間かけて編著し,久田登高(な ...

みかわちほうちしきじんしりょう  「三河地方知識人史料」(岩田書院 平成15年)は,田﨑哲郎が三河地方を調査した江戸時代後期から明治時代前期の地方知識人関係の史料集である。 人名史料により三河地方知識人を概観的に触れ,鈴木梁満・五束斎木朶・佐野蓬宇・豊田鉉鋼 ...

ふくたに・すいちく(1787頃~1850)  福谷水竹は,吉田西町(豊橋市松葉町)の油屋で,福谷藤左衛門世黄(よつぎ)という吉田藩の御用達であった。赤守の号で狂歌を作っていたが,文政4(1821)年ごろから,岡崎の鶴田卓池(1768~1846)に,師事して俳諧を学んだ。 嘉永元 ...

ひがしみかわのはいぶつきしゃく  「東三河の廃仏毀釈」(豊川堂 昭和52年)は,平田神道の思想伝達者で,羽田八幡宮・湊町神明社の神主である羽田野敬雄に焦点をあてて,東三河の廃仏運動が論じられている。その論述は,羽田野敬雄の「幕末三河国神主記録」(「万歳書留控 ...

はだめいしょうそうろく  「羽田名蹤綜録」(著者自筆,美濃本1冊,墨付30丁 享和3年)は,「豊橋市史々料叢書」四 「三河国吉田名蹤綜録」の付録として平成9(1997)年翻刻・出版されている。下地村(豊橋市下地町)の山本貞晨が,当時流行した「名所図会」の形式になら ...

はだはちまんぐうぶんこ  羽田八幡宮文庫は,嘉永元(1848)年15人の発起によって創設された。羽田野敬雄の「蔵書の多さを誇るのでなく,困窮にて書籍購入のできない人たちへ公開」を方針とした公共図書館の先駆けであった。文庫は,2間と3間(20㎡)の土蔵造りの書庫と松陰 ...

はだはちまんぐうしゃむしょはなれ  「羽田八幡宮社務所離れ(旧羽田野家住宅主屋)」木造平屋建・瓦葺(かわらぶき)・建築面積94㎡は,平成12(2000)年12月4日,国の文化財登録原簿に登録された。 「羽田八幡宮社務所離れ」は,羽田八幡宮神主・羽田野敬雄の住宅主屋で, ...

はだの・たかお(1798~1882)  羽田野敬雄は,寛政10(1798)年2月14日,宝飯郡西方村(宝飯郡御津町西方)の山本兵三郎茂義の4男に生まれた。幼名を兵作また茂雄といった。通称を常陸,栄木といった。文化15(1818)年,渥美郡羽田村(豊橋市花田町斎藤)の羽田八幡社神主 ...

ばくまつみかわのくにかんぬしきろく  「幕末三河国神主記録」(清文堂 平成6年)は,羽田村(豊橋市花田町)の羽田八幡宮・田町(豊橋市湊町)の神明社の神主であった羽田野敬雄(1798~1882)の文化8(1811)年から明治12(1879)年までの記録で,原本は「万歳書留控」8 ...

はいぶつきしゃく  廃仏毀釈は,慶応4(1868)年3月,太政官から達せられた「神仏分離令」を契機に全国に巻き起こった反仏教運動であった。神仏分離令は,神社から仏教色を排除するため,明治新政府が慶応4(1868)年以降に出した一連の法令である。まず慶応4(1868)年3月1 ...

のうぎょうにちようしゅう  「農業日用集」(文政5年写本 文化2年稿本)は,吉田(豊橋)宿魚町の安海熊野社の神主鈴木梁満(1731頃~1817)が自らも農業をしながら,その経験から農作業のことを書き留めたものである。原本は鈴木家には存在せず羽田野敬雄写本と森田光尋写 ...

なつめ・かけい(1807頃~62)  夏目可敬は,文化4(1807)年ごろ,吉田(豊橋)上伝馬町に生まれた。通称を重蔵,字(あざな)可敬,米花園と号し,家業を継いで笹屋(金物屋)4代平次郎と称した。弘化元(1844)年,秋里籬島の「東海道名所図絵」に刺激されて「参河国名所図 ...

とよほぎいなりしゃ  豊寿稲荷社は,八名郡牛川村(豊橋市牛川町洗島)に嘉永4(1851)年3月,吉田(豊橋)領民たちが領主の武運長久と五穀豊穣を願って,江戸深川の松平(大河内)邸の深川稲荷を勧請したものである。羽田野敬雄の「万歳書留控」(「幕末三河国神主記録」) ...

とよはししおよびそのふきん  「豊橋市及其附近」(豊橋市教育委員会 大正5年)は,豊橋および東三河を知るためのガイドブックで,今橋・吉田から豊橋までの事項について書かれている。各町については,施設・神社・仏閣・学校・墳墓など,写真や挿絵を用いながら解説して ...

としょかん  豊橋市中央図書館は,嘉永元(1848)年,羽田八幡宮の神官であった羽田野敬雄(たかお)が設立した羽田八幡宮文庫の蔵書の大部分を引き継いで設立された。豊橋市は,明治44(1911)年,愛知県下で最初の公立図書館を計画(豊橋市花田町守下)し,大正2(1913)年1 ...

すずきましげかしゅう  「鈴木真重歌集」(写半紙本一冊,墨付全54丁 明治13年)は,吉田天王社(吉田神社)神官,鈴木若狭真重(1750~1811)の歌集である。明治13(1880)年11月の序によれば,孫の鈴木石見磐根が子孫に伝え,また羽田八幡宮文庫に奉納するため編したもの ...

しんそうさい  江戸時代には,宗門人別改などの制度によって,一般庶民も全て仏教による葬儀を行ってきた。明治維新になって政府は,慶応4(1868)年3月,神道を国教化することを目的として,「神仏分離令」を布告して,寺社から神と仏を峻別した。 この神仏分離令によって ...

しばた・ほうすい(1854~1922)  柴田豊水は,嘉永7(1854)年1月28日,吉田(豊橋)藩士柴田善伸の養嗣子・柴田収次の2男に生まれた。養蚕業を始めた契機は,羽田野敬雄の「参河国養蚕由来記」を読んで啓発されたことにあるといわれる。明治6(1873)年箕輪村(長野県伊那 ...

さの・ほうう(1809~95)  佐野蓬宇は,文化6(1809)年10月14日,吉田本町(豊橋市新本町)の万屋という饅頭(まんじゅう)屋の子に生まれた。幼名を英之助,のち深寧(ふかやす),通称権右衛門,号を呉井園蓬宇といった。俳諧を岡崎の鶴田卓池,国書を羽田野敬雄と中山美石( ...

さかきぞのかしゅう  「栄樹園謌集」(自筆 美濃本2巻合1冊,墨付上巻28丁・下巻17丁 計45丁 明治9年)は,羽田野敬雄(1798~1882)の自筆歌集で,2巻が1冊にまとめられ,明治9(1876)年12月付の自序を付している。墨付き上巻28丁,下巻17丁で10行の罫紙に書かれてい ...

ごしゅいんあらため  「御朱印改め」とは,江戸時代将軍の代替りごとに大名・公家・寺社の持っている領地判物・朱印状を確認し,改めて発給することであり,継目安堵の意味を持つものである。 湊町の神明社(豊橋市湊町)は白鳳元(672)年の創立といわれ,慶安2(1649)年 ...

こくがくしゃ すずきやなまろ  「国学者 鈴木梁満」(日本図書刊行会 平成9年)は,山田久次による鈴木梁満(1731頃~1817)研究の成果をまとめた著作である。東三河の国学の概要について触れ,吉田(豊橋)宿魚町の安海熊野社の神主鈴木家の家系,鈴木梁満・重野・重実 ...

きんせいみかわ・おわりぶんかじんぞうしょもくろく  「近世三河・尾張文化人蔵書目録」8巻(ゆまに書房 平成17年)は,羽田野敬雄(たかお)の羽田文庫(春之巻・夏之巻・秋之巻・冬之巻),森田光尋(みつひろ)の見聞集,松坂重賜(しげます)の舒嘯園(じょしゅうえん)蔵書記 ...

おのだ・きちじろう(1822~79)  小野田吉次郎は,文政5(1822)年1月15日,渥美郡西七根(にしななね)村(豊橋市西七根町)の高橋能経の3男として生まれた。長じて渥美郡高塚村(豊橋市高塚町)の小野田家に養嗣子となった。 小野田吉次郎は26歳の時に,羽田野敬雄に国学 ...

おの・とどう(1840~1915)  小野杜堂は,天保11(1840)年8月28日,吉田(豊橋)本町の酒造業小野久四郎の子として生まれた。通称久六,後に道平と称した。漢書を中山繁樹に,国学を羽田野敬雄に,柔道を渡辺半太夫に,俳諧(はいかい)を佐野蓬宇(ほうう)に学んだ。父の後 ...

いそべおうづかこふん  磯辺王塚古墳は,三河湾沿岸の柳生川河口部に発達した砂の堆積地の付け根付近に位置している。羽田野敬雄(はだのたかお)が残した記録により,古くは幕末の弘化3(1846)年に付近の村人が発掘したことがうかがえる。その後,大正11(1922)年から平成9 ...

いそのもくず  「磯の藻屑」(私家版 嘉永5年)は,飽海(豊橋市飽海町)の青竜寺住職,実相院古道の家集である。集名の由来の序歌を巻頭に,春46,夏33,秋52,冬18,恋19,雑37の計205首を収めて1巻としている。私家版として刊行された。巻首木記に「製本書肆(しょし)  ...

あとみ・げんざん(1834~89)  跡見玄山は,天保5(1834)年10月22日,浜名郡境宿村(湖西市境宿)の農業跡見久兵衛の長男として生まれた。嘉永元(1848)年,額田郡本宿村(岡崎市)の宇津野竜碩の内弟子となって蘭方内科・外科を学び,安政元(1854)年遠江(とおとうみ) ...

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