愛知豊橋市長坂なおと のblog

最年少・無所属で2015年の豊橋市議会議員選挙に、新人トップ当選(全体8位)2019年現職トップで再選(同2位)。ブログ総アクセス数400万超。地元・豊橋のこと、地域のこと、商店街のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~

カテゴリ:17-新聞・雑誌

みかわ  「三河」は,昭和4(1929)年4月,編集兼発行者市川光宣(1875~1952)が豊橋市東八町の三河発行所で創刊した俳誌である。昭和19(1944)年3月176号で休刊し,同21(46)年復刊した。市川光宣は,「石楠」の臼田亜浪と親交があり,相互に影響し合った。同人に太田鴻 ...

ぶんかとし  「文化都市」は,豊橋地域のプロレタリア運動の一環として発行された雑誌である。昭和8(1933)年10月創刊され,翌9(34)年5月まで継続し,第7号をもって終刊となった。豊橋市西八町の文化都市社を発行所として,同所の和田保一が編集・発行人となった。菊判24 ...

ぶんか  「文化」は,第1次の豊橋文化協会が文化活動の啓発のために,豊橋市民を対象にして昭和9(1934)年10月に創刊し,翌10(35)年11月の第8号で終刊となった。編集委員として浅井秀雄ら28人が名を連ね,豊橋市旭町の豊橋文化協会を発行所とした。同所の岩瀬正雄が編集 ...

⇒ 「東日新聞」(新聞) - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog h ...

ひがしあいちしんぶん  「東愛知新聞」は,昭和32(1957)年11月に豊橋市札木町で,川上義隆が創刊した「夕刊とよはし」に始まる。昭和33(1958)年3月,豊橋市前畑町に本社を移転し,自社印刷を開始した。翌昭和34(1959)年5月,「豊橋毎日新聞」と改題し,朝刊に切り替え ...

はや  「甲矢」は明治37(1904)年編集人朝倉貞二,発行人下村諦信により創刊された子規派の文芸雑誌である。豊橋町大字指笠(さしかさ)(豊橋市新本町)の願成寺を発行所とし,菊判40ページであった。明治40(1907)年4月の32号で廃刊となった。 甲矢とは的矢を射る一番矢 ...

とよはしにちにちしんぶん  「豊橋日日新聞」は,大正6(1917)年2月11日創刊された日刊紙である。豊橋市大字萱に本社を置いた。1部1銭,1か月13銭であった。創刊者は,新朝報の記者をしていた中村幸三郎(風声)であった。 豊橋日日新聞は,発刊の辞に「所謂(いわゆる)堅 ...

とよはしどうめいしんぶん  「豊橋同盟新聞」は,戦時下の国策に従い,昭和13(1938)年11月1日に,豊橋市内の日刊6紙(参陽新報・新朝報・豊橋日日新聞・大衆新聞・東海朝日新聞・あさひ新聞)が合併して創刊された。西八町の参陽新報社跡に本社を置き,後に豊橋市札木町に ...

とよはししんぽう  「豊橋新報」は,大正10(1921)年12月創刊。社屋は豊橋市中八町に置いた。社長は,大口喜六(衆議院議員),副社長小山信(県会議員),専務安藤角次郎(市参事会員),会計黒柳清次(市参事会員)であった。いずれも同志派の政治家である。 そのため, ...

とよはししんぶん  「豊橋新聞」は,昭和27(1952)年10月,元中部日本新聞出版部長・渡辺登喜雄により創刊された。本社を豊橋市紺屋町(豊橋市魚町)に置き,当初は全判半裁2ページ,後にブランケット判4ページであった。その後社屋を豊橋市下地町に移転した。発足時は編集 ...

とうにちしんぶん  東日新聞は,昭和23(1948)年8月15日第2次世界大戦後の豊橋地方最初の日刊新聞「東三新聞」として,杉田英一郎(有窓子・杉八代表取締役)により創刊された。タブロイド判2ページだった。中部100部隊(歩兵第18聯隊)兵舎の一隅を借りてスタートしたが, ...

⇒ 「東日新聞」(新聞) - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog h ...

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とうかいあさひしんぶん  「東海朝日新聞」は,豊橋で最初に発刊された夕刊新聞である。大正15(1926)年10月1日の第1276号に「呱々(ここ)の声をあげて四年」の見出しがあることから,創刊は大正11(1922)年ごろとされる。豊橋市会議員をしたこともある岡田実が個人経営と ...

たんか  「短歌」は,大正13(1924)年に発会した「豊橋短歌会」の機関誌として,アララギ派の佐藤房一が編集した短歌誌である。月刊で8ページ。佐藤房一のほか細島昇一,金田誠一,太田夜郎,木下章が参加した。 - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり ...

たいしゅうしんぶん  「豊橋大衆新聞」は,昭和4(1929)年12月創刊の日刊紙である。タブロイド4ページだてで,購読料は1部2銭,1か月30銭であった。社屋を豊橋市花田町角田に置き,編集所を前田南町に置いた。創業者高崎信吉(1898~1944)の個人新聞的な性格が強かった。 ...

しんちょうほう  「新朝報」は,明治35(1902)年9月28日に豊橋で発刊された日刊紙で,4ページだて。購読料は1部1銭,月ぎめは1か月15銭であった。新朝報の前身は,明治33(1900)年11月に朝倉幾太郎が発行した「めざまし新聞」であった。毎月3回の発行であったが,明治34( ...

⇒ 「県公報」(愛知県) - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog h ...

じがぞう  「自画像」は,大正12(1923)年9月,宝飯郡下地町(豊橋市下地町)津田の近田久勝が編集兼発行者となって,豊橋自画像社から創刊された詩誌である。菊判16ページ,大正15(1926)年10月,31輯(しゅう)をもって廃刊となった。同人は白井一二ら7人だったが,後に乙 ...

さんようしんぽう  参陽新報は,豊橋で最初に発刊された日刊新聞で,4ページだて。外国ニュース・国内政治・社会ニュース・汽車時刻表・諸相場・小説・文芸・広告などで紙面が構成されていた。発売当初の購読料は,1か月20銭であった。参陽新報の前身は,明治28(1895)年 ...

さとのひかり  「さとのひかり」は,明治26(1893)年,富田良穂(1848~1925)によって創刊された三河地方最初の月刊和歌誌である。半紙半切袋綴で毎集10丁前後であった。昭和17(1942)年11月,第2次世界大戦中の強制統合令で名古屋の「国の花」に統合され,594号で廃刊に ...

けんこうほう  「愛知県公報」(愛知県)は,明治20(1887)年に,刊行された。それ以前の「額田県布告集」(宝飯地方史資料XⅥ)に引き続いて,「愛知県布達類聚集」が刊行されている。「愛知県公報」では,条例の制定のほか,町村分合,県道の指定,文化財の指定などが告 ...

えんじゃく  「燕雀」は,元東三新聞社社長の杉田有窓子(ゆうそうし)(1907~1985)が燕雀社(豊橋市大岩町北山)から出版した個人評論誌である。昭和44(1969)年1月20日に創刊された20ページの月刊誌で,192号(昭和60年)まで継続した。毎号燕雀寸言と称するコラムを冒頭 ...

うたのとも  「うたの友」は,大正14(1925)年4月,中野正人によって豊橋市岩田町の歌之友社から創刊された旧派の短歌雑誌である。大正14(1925)年10月第7号で休刊後,富田良穂の「さとのひかり」に吸収合併されたが,昭和4(1929)年3月独立した。その後,紆余曲折(うよ ...

いちぐう  「一隅」は,大正3(1914)年1月1日鷹野弥三郎(名古屋新聞豊橋支局長)と妻の次子を中心にした一隅同人によって創刊された文芸同人誌である。翌大正4(1915)年9月の第10号の刊行まで継続した。発行所は鷹野の居住した豊橋市中八町,発売所は豊川堂(ほうせんど ...

あんかるわ  「あんかるわ」は,北川透(本名磯貝満)(1935~ )によって,昭和37(1962)年に創刊され,平成2(1990)年84号をもって終刊した個人誌である。 1号~14号は北川透,浮海啓による同人誌的色彩が濃く,瀬川司郎,吉岡学,岡田啓,別所興一らが参加した。15号 ...

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