愛知豊橋市長坂なおと のblog

ブログ総アクセス数600万超。最年少・無所属で2015年の豊橋市議会議員選挙に新人トップ当選(全体8位)、2019年現職トップで再選(同2位)。2023年歴代最多得票にて3選。地元・豊橋のこと、地域のこと、まちなかのこと、市役所・市議会のこと、ニュースを見て思ったこと、いつも考えていること、そして、地元・豊橋のことなどを書いていきます。~住んでほの国、失敗ええじゃないか~

いちりやまのいちりづか  「一里山の一里塚」1基は,昭和50(1975)年11月8日,豊橋市史跡に指定された。 一里塚は慶長9(1604)年に徳川家康が徳川秀忠に命じて1里(約3.9㎞)ごとに築かせたものである。豊橋市域の東海道には,東から細谷・二川・飯村・下地の4か所に一 ...

いちりやまこようしぐん  一里山古窯址群は,7世紀の終わりごろから9世紀ごろの須恵器を生産した豊橋市南東部に分布する窯跡群である。豊橋市東細谷町から豊橋市大岩町辺りまでの東西約3.5㎞,南北約5.5㎞の範囲に分布している。窯跡は,深田支群,東篭田(ひがしかごた)支群 ...

いちりやま  東海道の白須賀宿と二川宿の間は,1里17町(5782m)である。境川(東京起点283.2㎞)から二川宿の東(東京起点287.4㎞)の丘陵は,下細谷村(豊橋市東細谷町)字一里山である。愛知・静岡県境の境川から西へ650mの北側に,昭和50(1975)年11月8日,豊橋市文化 ...

いちりっとるのなみだ  「1リットルの涙」(エフエー出版 昭和61年)は,厚生省特定疾患・脊髄(せきずい)小脳変性症にかかった著者木藤亜也(1962~88)の14歳から21歳までの闘病の記録である。 豊橋市立青陵中学校時代に兆候を自覚して以来,昭和52(1977)年の愛知県立 ...

いちりづか  一里塚は,街道の両側に1里(約3.9㎞)ごとに木を植えた塚のことで,旅人が道程や目的地への目印としたり,馬や駕籠(かご)の賃銭を支払う目安ともした。慶長9(1604)年徳川家康の命により徳川秀忠が江戸日本橋を起点として東海道をはじめ各街道に一里塚を築き ...

いちょう  イチョウ(イチョウ科)は,落葉高木で,高さは約30mに達し,葉は扇形であるが針葉樹の仲間である。葉は秋に黄変し,また黄色の種を結び,内に核がある。これを「ぎんなん」といい食用にする。雌雄異株で,雄の枝は上に向かって伸び,雌はやや横に張り出す。漢字 ...

いちもんじせせり  イチモンジセセリ(セセリチョウ科)は,茶褐色で小型の蝶(ちょう)で,体長は約16㎜である。豊橋地方では5月~11月ごろまで発生を数回繰り返すが,個体数は前半には非常に少なく,秋風の立つころから急増し,各種の草花に吸蜜のため飛来する。民家の周辺 ...

いちみちいせき  市道遺跡は,8~10世紀ごろの古代に渥美郡の役人をしていた豪族の館跡,あるいは渥美郡の正倉の一部や豪族の氏寺とされる寺院跡(市道(いちみち)廃寺(はいじ))と,12~14世紀ごろの中世の寺院跡が確認されている。 遺跡は2万㎡以上ある大きなもので,北側 ...

いちばじょう  市場城は,豊橋北部方面で勢力を誇った西郷氏の城の一つと考えられている。 「三河国二葉松」(元文5年)に「嵩山村古城西郷孫四郎,奥山修理進,中山是非之助,西郷家之別」とあるのがこの市場城と思われる。当時の勢力関係から遠江(とおとうみ)国引佐を領 ...

⇒ 魚市場(豊橋市下五井町青木) 青果市場 生花市場(豊橋市神野新田町ニノ割) - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうと ...

いちご  いちごは,施設園芸で,近年,最も生産と消費が伸びた施設野菜の一つである。豊橋市西部・北部・東部地域を中心に栽培されている。ハウス栽培が主で,10月から翌年の5,6月ごろまで味覚を楽しめる。高冷地育苗・加温・電照などの技術改良と品種改良により早期出荷, ...

いちげついん  平川山一月院(曹洞宗)は,もと全久院(豊橋市東郷町)の境内南部にあった。元禄15(1702)年9月全久院方丈不方嶺与和尚が田尻村祥雲寺に退隠し,翌16(03)年に一月院を平川本町の現在地に移転し,伽藍(がらん)を増築してはじめて公称寺院となった。「三州 ...

いちぐう  「一隅」は,大正3(1914)年1月1日鷹野弥三郎(名古屋新聞豊橋支局長)と妻の次子を中心にした一隅同人によって創刊された文芸同人誌である。翌大正4(1915)年9月の第10号の刊行まで継続した。発行所は鷹野の居住した豊橋市中八町,発売所は豊川堂(ほうせんど ...

⇒ 牛川遊歩公園(豊橋市南牛川二丁目・西小鷹野四丁目) - - 豊橋市議の長坂です。 豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。 このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。 苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - ...

いちきしまひめしゃ  八名郡天王村(豊橋市下条西町[天王])の市杵島姫社の縁起によると,「その昔,百姓の老人が山から薪(たきぎ)をとっての帰り,豊川(とよがわ)の鐘ヶ淵で休んでいる時,天女が現れて,この河は氾濫(はんらん)するので西方の葦の茂った所へ連れていって ...

いちきしまじんじゃこふん  市杵島神社古墳は,標高2~3mの低位な段丘の先端部に位置する古墳である。墳丘上には,市杵島神社が建っている。昭和60(1985)年に,豊橋市教育委員会・牟呂地区遺跡調査会が発掘調査を行い,古墳は全長60m前後,後方部一辺32m,同高さ5m,前方 ...

いちきしましゃ  市杵島社の祭神は,神亀元(724)年うつろ船に乗って流れ着いた開元王(聖武天皇の3男)の后であるといい伝えている。明治初年までは「弁天様」といった。「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,牟呂村「八幡末社,弁財天,祢宜甚左衛門」とある。 - ...

いちかわ・ひろし(1888~1959)  市川寛は,明治21(1888)年10月31日,渥美郡杉山村(豊橋市杉山町)で市川万佐の子として生まれた。昭和2(1927)年京都帝国大学文学部を卒業し,同2(27)年大阪の浪速高等学校教授を経て,昭和7(1932)年から5年間京都帝国大学講師とな ...

いちかわ・ていし(1875~1952)  市川丁子は,明治8(1875)年10月17日,幡豆郡州崎村(幡豆郡幡豆町東幡豆)に生まれた。本名光宣。明治31(1898)年,愛知県第一師範学校を卒業した。大正5(1916)年小学校長を退任後,豊橋で私塾「時習舎」を経営した。大正5(1916)年 ...

いたち  イタチ(食肉目イタチ科)は,体つきは胴が長く足が短い。土に穴を掘り,巣を作る。ネズミを駆除する有益獣のため,雌は狩猟獣からはずされ保護されている。水辺環境を好み生活しているので,ネズミのほかにカエル・ザリガニ・ヘビ・ドジョウなどを食べる。「イタチ ...

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