豊橋市議の長坂です。
豊橋公園も縁(へり)の際(きわ)です。

さて、10月11月の市政報告会・座談会に合わせ「豊橋公園地のこれまで」をまとめてみました。
せっかくなので拙ブログでもご紹介させていただきます。
(間違い等ございましたら、ご教授賜れば幸いです)


  • 紀元前3世紀頃(弥生時代): 集落が営まれていた痕跡がある(土器の出土など 飽海遺跡)
  • 4~6世紀(古墳時代): 古墳が築かれていた痕跡がある(銅鏃や円筒埴輪など)
  • 671(天智天皇10)年頃: 八幡社(赤門)が創建(現・武道館の地とされる 戦後、安久美神戸神明社に合祀)
  • 8~10世紀(奈良~平安時代前期): 官衙(かんが)的な建物群が設けられる(渥美郡衙跡の推定地)
  • 835(承和2)年: 飽海川(豊川)の渡船を2艘増し4艘とする
  • 940(天慶3)年: 朱雀天皇より伊勢神宮領の飽海神戸が寄進(後の安久美神戸神明社)
  • 1108(嘉承3)年頃: 伊勢神宮領の吉田御園が設置
  • 1178(治承2)&1186(文治2)年: 源頼朝が天王社(吉田神社)への崇敬篤く、家臣を代参させたと伝わる
  • 1224(貞応3)年頃: 飽海川(豊川)に架橋され「今橋」と称する
  • 14~15世紀(室町時代): 紀行文に「今橋」が多く表れ、この付近に都市的な場としての今橋宿が存在したと考えられる。
  • 1366(貞治5)年: 善忠寂翁によって悟真寺が草創されるという(寺伝)
  • 1497(明応6)年頃: 牧野古白により今橋城が築城
  • 1522(大永2)年: 今橋(城)から吉田(城)に
  • 1570(元亀元)年: 酒井忠次により豊川(吉田城関屋口)に土橋(吉田大橋の前身)が架橋
  • 1590(天正18)年代: 池田照政(後の輝政)による吉田城整備
  • 1622(元和8)年: 本丸御殿が完成
  • 1655(明暦元)年: 茶人・山田宗徧が吉田藩に仕える(豊橋公園内に山田宗徧邸址碑)
  • 1707(宝永4)年: 大地震で本丸御殿が倒壊
  • 1752(宝暦2)年: 藩校時習館が創立(現・公会堂の地とされる)
  • 1885(明治18)年: 陸軍歩兵第18聯隊(れんたい)が移営、神明社が遷座(後の安久美神戸神明社)
  • 1896(明治29)年: 豊橋町役場が西八町(現・公会堂の西側)に移転
  • 1899(明治32)年: 軍人記念碑(神武天皇像)が中八町(八町練兵場の南正面)に建立
  • 1901(明治34)年: 豊橋町役場が中八町(現・公会堂向かい側)に移転
  • 1909(明治42)年: 桜丘学園の前身となる裁縫塾(後の豊橋裁縫実習女学院)が西八町に開設
  • 1912(明治45)年: 豊橋市役所庁舎が完成
  • 1913(大正2)年: 豊橋ハリストス正教会が聖堂を新築
  • 1916(大正5)年: 軍人記念碑が練兵場内北側に移設
  • 1931(昭和6)年: 豊橋市公会堂が完成
  • 1947(昭和22)年: 豊橋市立中部第二中学校(現・豊城中)が開校
  • 1948(昭和23)年: 野球場・児童遊園が設置
  • 1949(昭和24)年: 豊橋公園が開園、陸上競技場・軟式庭球場が設置
  • 1953(昭和28)年: 豊橋市役所新庁舎が完成
  • 1954(昭和29)年: 豊橋産業文化大博覧会が開催、吉田城鉄櫓が復興、動物園が開園
  • 1961(昭和36)年: 豊橋市体育館が完成。子ども造形パラダイス会場が神明公園から豊橋公園になる
  • 1962(昭和37)年: 児童文化センターが設置
  • 1965(昭和40)年: 神武天皇像が吉田城金柑丸跡(現在地)に移設される
  • 1970(昭和45)年: 動物園が東高田町(現在地)に移転、市民プール・硬式庭球場が設置
  • 1973(昭和48)年: 武道館が設置
  • 1977(昭和52)年: 豊橋市役所庁舎が増築(現・西館)
  • 1979(昭和54)年: 美術博物館が開館
  • 1980(昭和55)年: 児童文化センターが牟呂町(青少年センター内)に移転
  • 1986(昭和61)年: 三の丸会館が開館
  • 1990(平成2)年: 豊橋市基本計画(高橋市政)-「豊橋公園一帯を静的ゾーンとして位置付け、歴史と文化の薫り漂う、風格ある公園として整備し、市民が心のシンボルとして誇りうる「歴史と文化の公園」づくりを推進する
  • 1991(平成3)年: 豊橋公園整備構想(高橋市政)- 上記の豊橋公園整備のため体育施設を総合スポーツ公園に集約等
  • 1996(平成8)年: 豊橋市役所東館が完成、仮庁舎としていた豊橋市体育館が芝生広場に
  • 2002(平成14)年: 豊橋公園「整備の基本的な考え方」(早川市政)- 厳しい財政状況等から体育施設の総合スポーツ公園への移転・集約など大幅に見直し
  • 2010(平成22)年: 「豊橋総合スポーツ公園・豊橋公園整備の方向性について」(佐原市政)- 早川市政(2002年)の「整備の基本的な考え方」を踏襲
  • 2015(平成27)年: 佐原市長が豊橋市総合体育館を現・三遠ネオフェニックスのホームアリーナとして受け入れる
  • 2017(平成29)年: 佐原市長が安倍首相(当時)に豊橋公園を想定した「豊橋市の新アリーナ構想」を説明
  • 2020(令和2)年: 新アリーナを「ほかの場所」とした浅井氏が市長当選
  • 2022(令和4)年: 「吉田城址」が市の史跡指定 浅井市長が豊橋公園での新アリーナ整備を発表


A4に収まるよう一部割愛して、配布資料は下記のように作成しました。
221010_220918_01
ぜひ、市政報告・座談会にもご参加いただければ幸いです。
220909_ura_ol_fb
http://nagasakanaoto.blog.jp/220909.html

情報提供等くださった方、ありがとうございます。

では!

(主な参考資料)
「豊橋公園ものがたり(令和2年度 図書館資料展 ふるさと探訪(第4回)資料)」
公式ガイドブック「歩いて楽しむ吉田城」(2022, 豊橋市文化財センター)
豊橋公園整備基本構想策定調査報告書(1991, 豊橋市・(株)地域計画連合)
 http://nagasakanaoto.blog.jp/220912.html 
豊橋百科事典 https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm など