豊橋市議の長坂です。
思わぬ発見あるものです。
さて、先日開催された吉田城址の「市史跡指定記念講演会」、楽しく学べました。

http://www.toyohashi-bihaku.jp/?p=15280
「築城当初の正面入り口は東側であったのでないか、
とすると(本丸南西の)千貫櫓が天守だった可能性も」
「二の丸南東の一部が(塀でなく)柵になっている。
ここにはトイレがあったことがわかっており、風通しのためか。
偶然か今もここに公衆トイレがある(美博西公衆トイレ)」
など、興味深く聞かせていただきました。
そんなこともあり、豊橋公園について調べてます。

この資料から、気になる記述を見つけました。

左側のぐるりと囲うような土塁は、吉田城の本丸や二の丸、三の丸の土塁で、昨(令和3)年度末に史跡指定された範囲です。

https://www.toyohashi-bihaku.jp/?p=15194
しかしながら、矢印で示した豊橋公園北側の朝倉川沿いにも「土塁」の記録。
上図に重ねると、およそ赤二重線の箇所になります。

資料の表では、建築年が明治になっていますが、資料の前頁にこのような記述があります。
とりあえず、図のうち、明治35年(926.96m)の土塁と、明治18年(239.00m)の土塁が、それぞれどこか確認いただくよう、お願いしました。
(追記)
公園緑地課に残る記録から、朝倉川沿いの土塁は、明治18年(239.00m)の方とわかりました。
図では300m以上あるように見えますが、239.00mということです。
それ以外の図の西側・三の丸以内の土塁が、合わせて926.96mということです。
(追記おわり)
■
早速、緑矢印のように、ぐるっと回って写真を撮ってきました。
詳しい方が、何か気づく一助になれば幸いです。

ルートは、矢印の順に、
■
1. 豊橋公園の北東端にある武道館の裏から西に、弓道場、アーチェリー場と、朝倉川沿い下流に向かい、
北向き。左が武道館、奥の竹やぶが土塁です。

西向き。左が武道館、右の竹やぶが土塁

フェンスありますが、だいぶ傷んでいます

見にくいですが、奥はすぐ急斜面&朝倉川です。


関係ないと思いますが、弓道場の手前(東)に石がたくさん

弓道場(奥が土塁)

アーチェリー場(右奥が土塁)

アーチェリー場の西端、奥が土塁。左は朝倉川を渡る送電管。中央に盛り上がり。


東向き。送電管の奥から盛り上がって見えます。

東向き。左が朝倉川。人工的な雰囲気の石が露出(?)。奥に送電管。

覗くと、すぐ朝倉川。

2. 北に折れ「城下橋」を渡り、朝倉川の対岸(右岸)へ。
城下橋。

東向き、城下橋から。奥が上流、右が「土塁」側の河岸

東向き。戻って「土塁」の西端あたりに近づいてみました。このあたりから盛り上がっています。

3. 今度は逆方向、朝倉川沿い上流に向かう東に進み、
東向き。対岸(右岸)より

南向き。土塁の西端付近、傾斜が始まる辺りで護岸工事が異なる様子。
コンクリートの色は、上流(左)側の方が明るく見え、より新しいか。

東向き。送電管から両岸の高低差がわかる

南向き。送電管の下あたりに排水(?)管。周囲の護岸より古いものに見えます。

少し東に進んで、南向き。竹の根元から斜面(土塁)の高さがわかります。

東向き。奥の橋のようなものは、水道橋。

南向き。樹木の根元から斜面(土塁)の高さがわかる。

東向き。奥は水道橋。このあたりから草で朝倉川が見えない。




4. そのまま刑務所の北側まで。
南向き。この水道橋のあたりが豊橋公園と刑務所の境(写真右が豊橋公園、左が刑務所)

ほぼ南向き。水道橋を超えた辺りから、再び朝倉川が見えるように。

水道橋の下あたりで、再び護岸工事が変わる。

南向き。更に東に進んだところで、更に護岸工事が変わる。

排水管。先ほど(下流)のものより新しそう。この周囲で護岸工事も変わる。

南向き。護岸工事が変わる。

飽海橋。橋周辺でも護岸工事が異なる。

5. 飽海橋で南に折れ、再び対岸(左岸)へ。
南向き。樹木でわかりにくいですが、橋の右側(土塁側)の方が高さがあります。

南向き。

西向き。飽海橋から下流を見る。


6. そのまま史跡指定された刑務所沿いの総堀の途中(刑務所入り口)まで南進しました。
西向き。根元の位置から高さがわかります。


東向き。道路を挟んで反対側(土塁でない方)、地面の高さは道路と同程度。

西向き。奥は刑務所の建物。より高まりが増しています。
この辺りから吉田城総堀の土塁、史跡指定箇所と思われます。

少し南に進んで、西向き。総堀土塁が一層高く。

刑務所の入り口(北向き)。総堀土塁が削られて(?)います。

刑務所の入り口(南向き)

以上です。
何か発見に繋がれば幸甚です。
では!
思わぬ発見あるものです。
さて、先日開催された吉田城址の「市史跡指定記念講演会」、楽しく学べました。

http://www.toyohashi-bihaku.jp/?p=15280
「築城当初の正面入り口は東側であったのでないか、
とすると(本丸南西の)千貫櫓が天守だった可能性も」
「二の丸南東の一部が(塀でなく)柵になっている。
ここにはトイレがあったことがわかっており、風通しのためか。
偶然か今もここに公衆トイレがある(美博西公衆トイレ)」
など、興味深く聞かせていただきました。
ご来豊の日本城郭協会理事・加藤理文様、
城郭イラストレーター・香川元太郎様、ありがとうございます。
本市学芸員・中川永さんも、お疲れ様です。
■
城郭イラストレーター・香川元太郎様、ありがとうございます。
本市学芸員・中川永さんも、お疲れ様です。
■
そんなこともあり、豊橋公園について調べてます。

この資料から、気になる記述を見つけました。

左側のぐるりと囲うような土塁は、吉田城の本丸や二の丸、三の丸の土塁で、昨(令和3)年度末に史跡指定された範囲です。

https://www.toyohashi-bihaku.jp/?p=15194
しかしながら、矢印で示した豊橋公園北側の朝倉川沿いにも「土塁」の記録。
上図に重ねると、およそ赤二重線の箇所になります。

資料の表では、建築年が明治になっていますが、資料の前頁にこのような記述があります。
② 歴史的遺構これについて豊橋市役所の担当課(文化財センターと公園緑地課、双方)に確認したところ、明確なことはわからず。
豊橋公園の土地はすべて、大蔵省東海財務局からの貸付財産である。土地以外にも、公園内には次頁の表および図に示す貸付財産がある。これらの建築(設置)年はすべて明治以降となっているが、実際はそれ以前の歴史的遺構と考えられるものが多い。
とりあえず、図のうち、明治35年(926.96m)の土塁と、明治18年(239.00m)の土塁が、それぞれどこか確認いただくよう、お願いしました。
(追記)
公園緑地課に残る記録から、朝倉川沿いの土塁は、明治18年(239.00m)の方とわかりました。
図では300m以上あるように見えますが、239.00mということです。
それ以外の図の西側・三の丸以内の土塁が、合わせて926.96mということです。
(追記おわり)
■
早速、緑矢印のように、ぐるっと回って写真を撮ってきました。
詳しい方が、何か気づく一助になれば幸いです。

ルートは、矢印の順に、
- 豊橋公園の北東端にある武道館の裏から西に、弓道場、アーチェリー場と、朝倉川沿い下流に向かい、
- 北に折れ「城下橋」を渡り、朝倉川の対岸(右岸)へ。
- 今度は逆方向、朝倉川沿い上流に向かう東に進み、
- そのまま刑務所の北側まで。
- 飽海橋で南に折れ、再び対岸(左岸)へ。
- そのまま史跡指定された刑務所沿いの総堀の途中(刑務所入り口)まで南進しました。
■
1. 豊橋公園の北東端にある武道館の裏から西に、弓道場、アーチェリー場と、朝倉川沿い下流に向かい、
北向き。左が武道館、奥の竹やぶが土塁です。

西向き。左が武道館、右の竹やぶが土塁

フェンスありますが、だいぶ傷んでいます

見にくいですが、奥はすぐ急斜面&朝倉川です。


関係ないと思いますが、弓道場の手前(東)に石がたくさん

弓道場(奥が土塁)

アーチェリー場(右奥が土塁)

アーチェリー場の西端、奥が土塁。左は朝倉川を渡る送電管。中央に盛り上がり。


東向き。送電管の奥から盛り上がって見えます。

東向き。左が朝倉川。人工的な雰囲気の石が露出(?)。奥に送電管。

覗くと、すぐ朝倉川。

2. 北に折れ「城下橋」を渡り、朝倉川の対岸(右岸)へ。
城下橋。

東向き、城下橋から。奥が上流、右が「土塁」側の河岸

東向き。戻って「土塁」の西端あたりに近づいてみました。このあたりから盛り上がっています。

3. 今度は逆方向、朝倉川沿い上流に向かう東に進み、
東向き。対岸(右岸)より

南向き。土塁の西端付近、傾斜が始まる辺りで護岸工事が異なる様子。
コンクリートの色は、上流(左)側の方が明るく見え、より新しいか。

東向き。送電管から両岸の高低差がわかる

南向き。送電管の下あたりに排水(?)管。周囲の護岸より古いものに見えます。

少し東に進んで、南向き。竹の根元から斜面(土塁)の高さがわかります。

東向き。奥の橋のようなものは、水道橋。

南向き。樹木の根元から斜面(土塁)の高さがわかる。

東向き。奥は水道橋。このあたりから草で朝倉川が見えない。




4. そのまま刑務所の北側まで。
南向き。この水道橋のあたりが豊橋公園と刑務所の境(写真右が豊橋公園、左が刑務所)

ほぼ南向き。水道橋を超えた辺りから、再び朝倉川が見えるように。

水道橋の下あたりで、再び護岸工事が変わる。

南向き。更に東に進んだところで、更に護岸工事が変わる。

排水管。先ほど(下流)のものより新しそう。この周囲で護岸工事も変わる。

南向き。護岸工事が変わる。

飽海橋。橋周辺でも護岸工事が異なる。

5. 飽海橋で南に折れ、再び対岸(左岸)へ。
南向き。樹木でわかりにくいですが、橋の右側(土塁側)の方が高さがあります。

南向き。

西向き。飽海橋から下流を見る。


6. そのまま史跡指定された刑務所沿いの総堀の途中(刑務所入り口)まで南進しました。
西向き。根元の位置から高さがわかります。


東向き。道路を挟んで反対側(土塁でない方)、地面の高さは道路と同程度。

西向き。奥は刑務所の建物。より高まりが増しています。
この辺りから吉田城総堀の土塁、史跡指定箇所と思われます。

少し南に進んで、西向き。総堀土塁が一層高く。

刑務所の入り口(北向き)。総堀土塁が削られて(?)います。

刑務所の入り口(南向き)

以上です。
何か発見に繋がれば幸甚です。
では!