豊橋市議の長坂です。
最後までお読みくださっても結論なく、とりとめありません。
さて、豊橋が誇る国の史跡である「馬越長火塚(まごしながひづか)古墳群」のうち、「口明塚(くちあけづか)南古墳」の発掘調査現地見学会に行ってきました。
仕事柄、政教分離についてよく考えます。
行政は、基本的に宗教施設については、お金(税金)を使うことができません。
このことが端的に示されたのが、熊本地震(2016年)の被災対応です。
熊本城は税金で復旧されることになりました(今も復旧中)
しかし、阿蘇神社の復旧は困難でした。それは、阿蘇神社が宗教施設であるためです。
それは「文化財(指定)」です。
文化財と指定されている場合、は国等からの補助がありえます。
阿蘇神社も「楼門」などは、文化財でした。
■
政教分離から話を少し離します。
一般的に「古墳」は、宗教施設とみなされていません。
他方「神社」は宗教施設です。
古墳が、古代の豪族などの墓であることは、多くの方がご存知と思われます。
墓であるということは、慰霊のために作られた施設と考えてよく思われます。
日本の神社にも、実在(とされる)人物を奉っている施設が多くあります。
例えば、菅原道真を奉っている天満宮(大宰府など)や、徳川家康の東照宮(日光など)、
熊本の加藤神社(加藤清正)、神奈川などの二宮神社(二宮尊徳)、
三重には、松下幸之助を奉っている「松下幸之助社」もあるということです。
これら神社で手を合わせるときの気持ちは「慰霊」でしょうか、「信仰」でしょうか。
できたばかりのときは「慰霊」の気持ちが強かった(強い人が多かった)かもしれません、
徐々に「信仰」が強くなったかもしれません。
手を合わせたときの気持ちが、
「安らかにお眠りください」なら慰霊で、
「いつまでも(自分や家族が)元気でいられますように」など
お願いをするならなら信仰かな、とも思いましたが、
祖父母の墓の前でも「元気でいられますように(見守っていてください)」と
手を合わせるので、ちょっと違うな、とも思いました。
「神様」と思っているかどうか、で考えると、長坂個人の気持ちでは、
「天神様(菅原道真公)」は神様、祖父母は神様でありません。
時代的にその間の徳川家康は、やはり神様というより歴史上の人物です。
これは育った環境※もあるかもしれません。
※天神様の人形が飾られ、受験期など手を合わせていました。
余談ですが天神様(人形)を飾るのは、かなり局地的な風習なようです。
■
政教分離の話に少し戻ります。
行政的に「慰霊」はOKとされていると認識しています。
毎年8月15日に国(政府主催)で、全国戦没者追悼式が行われています。
管轄の厚労省サイトにも「戦没者慰霊のための式典」と記載あります。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/senbotsusha/seido01/AA10K-index.html
沖縄県や広島県、長崎県も慰霊のための式典をしていることは有名です。
また、内閣総理大臣経験者等の葬祭には、内閣との「合同葬」となっていることも度々です。
しかしながら、それら「慰霊」が特定の宗教様式に則ること
(お経を上げる、お祓いをするなど)は避けられるようです。
会場についても、寺社などの宗教施設でなく、
全国戦没者追悼式は例年、日本武道館で、
中曽根元総理の合同葬は、都内ホテルで行われたということです。
■
どうして、こんなことを長々考えてしまったのか、
と思い返すと、おそらくこちらです。
馬越長火塚古墳からもう少し足を伸ばしたところにある、権現山古墳(1号墳と2号墳の2つ)の上に、これがありました。
1000年以上前の方のお墓(古墳)ですが、慰霊的な様子がありました。
僕は、これら古墳を「お墓」と、知識としては知っていても、
気持ちの上では、そのような意識はありませんでした。
それ以上に宗教施設という認識もありませんでした。
しかし、これを見て、今でもここを「お墓」として扱っている方がいらっしゃることが感じられました。
これは慰霊でしょうか、それとも信仰でしょうか。
では。
最後までお読みくださっても結論なく、とりとめありません。
さて、豊橋が誇る国の史跡である「馬越長火塚(まごしながひづか)古墳群」のうち、「口明塚(くちあけづか)南古墳」の発掘調査現地見学会に行ってきました。
豊橋市長坂なおと(豊橋だいすき ⋈ 市議)@naotoyo84そこで考えたことです。【石巻古墳ウォーク】
2022/01/23 00:51:55
柿畑に眠る、口明塚南古墳の現地説明会へ
古墳王子様 @kotetu2019 もご来墳くださっていました。
前回(?)は雨だったので、天気に恵まれ良かった!
主催、ボランティア方ありがとうございます。
(… https://t.co/hvkJo2wIEj
仕事柄、政教分離についてよく考えます。
行政は、基本的に宗教施設については、お金(税金)を使うことができません。
このことが端的に示されたのが、熊本地震(2016年)の被災対応です。
熊本城は税金で復旧されることになりました(今も復旧中)
しかし、阿蘇神社の復旧は困難でした。それは、阿蘇神社が宗教施設であるためです。
3年前の熊本地震で国指定重要文化財の楼門が倒壊するなど主要施設が被災した熊本県阿蘇市の阿蘇神社で、全壊した拝殿が2021年6月に再建される見通しになった。神社は総工費を7億400万円と見込んでいるが、拝殿が文化財指定を受けていないため国や自治体からの公的補助がなく、大部分を寄付金で賄う予定。記事でも触れられているように、例外(?)もあります。
- 阿蘇神社拝殿、21年に再建 総工費7億400万円、大部分を寄付金で | 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20190725/k00/00m/040/079000c
それは「文化財(指定)」です。
文化財と指定されている場合、は国等からの補助がありえます。
阿蘇神社も「楼門」などは、文化財でした。
■
政教分離から話を少し離します。
一般的に「古墳」は、宗教施設とみなされていません。
他方「神社」は宗教施設です。
古墳が、古代の豪族などの墓であることは、多くの方がご存知と思われます。
墓であるということは、慰霊のために作られた施設と考えてよく思われます。
日本の神社にも、実在(とされる)人物を奉っている施設が多くあります。
例えば、菅原道真を奉っている天満宮(大宰府など)や、徳川家康の東照宮(日光など)、
熊本の加藤神社(加藤清正)、神奈川などの二宮神社(二宮尊徳)、
三重には、松下幸之助を奉っている「松下幸之助社」もあるということです。
これら神社で手を合わせるときの気持ちは「慰霊」でしょうか、「信仰」でしょうか。
できたばかりのときは「慰霊」の気持ちが強かった(強い人が多かった)かもしれません、
徐々に「信仰」が強くなったかもしれません。
手を合わせたときの気持ちが、
「安らかにお眠りください」なら慰霊で、
「いつまでも(自分や家族が)元気でいられますように」など
お願いをするならなら信仰かな、とも思いましたが、
祖父母の墓の前でも「元気でいられますように(見守っていてください)」と
手を合わせるので、ちょっと違うな、とも思いました。
「神様」と思っているかどうか、で考えると、長坂個人の気持ちでは、
「天神様(菅原道真公)」は神様、祖父母は神様でありません。
時代的にその間の徳川家康は、やはり神様というより歴史上の人物です。
これは育った環境※もあるかもしれません。
※天神様の人形が飾られ、受験期など手を合わせていました。
余談ですが天神様(人形)を飾るのは、かなり局地的な風習なようです。
天神様は学問の神様「菅原道真公」のお人形や掛け軸を飾り、男の子が賢くなるようにと願います。慰霊と信仰は、線引きできるものでなく、ひと続きというかとても近しいものでありそうです。
東三河では、2月25日にお祝いをしています。
東三河、福井県、富山県、鳥取県、静岡市などにこの風習があります。
https://www.ningyo-tachibana.com/doll_ca/doll06/
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政教分離の話に少し戻ります。
行政的に「慰霊」はOKとされていると認識しています。
毎年8月15日に国(政府主催)で、全国戦没者追悼式が行われています。
管轄の厚労省サイトにも「戦没者慰霊のための式典」と記載あります。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/senbotsusha/seido01/AA10K-index.html
沖縄県や広島県、長崎県も慰霊のための式典をしていることは有名です。
また、内閣総理大臣経験者等の葬祭には、内閣との「合同葬」となっていることも度々です。
しかしながら、それら「慰霊」が特定の宗教様式に則ること
(お経を上げる、お祓いをするなど)は避けられるようです。
会場についても、寺社などの宗教施設でなく、
全国戦没者追悼式は例年、日本武道館で、
中曽根元総理の合同葬は、都内ホテルで行われたということです。
■
どうして、こんなことを長々考えてしまったのか、
と思い返すと、おそらくこちらです。
馬越長火塚古墳からもう少し足を伸ばしたところにある、権現山古墳(1号墳と2号墳の2つ)の上に、これがありました。
1000年以上前の方のお墓(古墳)ですが、慰霊的な様子がありました。
僕は、これら古墳を「お墓」と、知識としては知っていても、
気持ちの上では、そのような意識はありませんでした。
それ以上に宗教施設という認識もありませんでした。
しかし、これを見て、今でもここを「お墓」として扱っている方がいらっしゃることが感じられました。
これは慰霊でしょうか、それとも信仰でしょうか。
では。