豊橋市議の長坂です。
「ウェビナー」って初めて聞いたとき、パリピの友達かと思いました。

さて、明日10月3日(土)豊橋青年会議所(豊橋JC)主催で、下記のようなwebセミナーがあります。
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参加お申込はこちらからです。
今、社会は新型コロナウイルスの影響で大きく変化しています。この変化において、多様な価値観が共生するイキイキとした社会にするためには、みんなが無意識に持つ固定観念(アンコンシャスバイアスと言います)のコントロールが役立ちます。 この事業は、豊橋の人たちを対象に無意識の固定観念との付き合い方を学び、生活の中で活かしてもらうことにより、素敵な社会をつくるお手伝いをしたいと思います。
https://zoom.us/webinar/register/WN_SQcqY-5rQaizk3hXvwra-w 


「アンコンシャス・バイアス」、聞き慣れない言葉です。

まず気になるのは、ぼくの認識では「バイアス(bias)」は、そもそも無意識のものなのに、わざわざどうして「アンコンシャス(unconscious:無為意識の)」と付いているのか、ということです。

バイアス(bias)は、英語で次のような様々な意味があります。
bias

  1. 〔布地の〕バイアス、バイヤス◆布目に対する斜めの線。布地をバイアスに沿ってカットすると、伸縮性のある生地ができる。
  2. 《統計》バイアス◆統計処理の結果のゆがみのことで、選択バイアス(selection bias)や系統的バイアス(systematic bias)などがある。
  3. 《電気》バイアス◆トランジスタや真空管の電極に掛ける電圧。回路の電圧を補正する時などに用いられる。◆【同】bias voltage
  4. 《スポーツ》〔ボールの〕バイアス◆ボウリングのボールの重心の偏り、またはそれによって起こるボールの偏向を指す。
  5. 〔金融政策などの〕方向性
  6. 〔公平な判断を妨げる〕偏見先入観
  7. 〔偏見から起きる〕不公平な判断[行為]

他動
  1. ~に偏見を抱かせる、~を偏らせる
  2. ~にバイアスをかける
  3. ~を付勢する
https://eow.alc.co.jp/search?q=bias
元々は布地に関する言葉だったのが、転じて様々な意味に広がったと認識しています。
「アンコンシャス・バイアス」では、主として6.の意味として用いられていると思われます。

「偏見」や「先入観」は、そもそもが無意識なものだと認識しています。
もし、意識的≒意図的なものであれば、それは「偏見」や「先入観」とは言わないでしょう。

なのにどうして、わざわざ「アンコンシャス」と頭に付けているのか・・・



今回、第2部で講師を務められる荒川雅子さんの会社サイトでは、「アンコンシャス・バイアス」を次のように説明されています(下線などは長坂による)
アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)

自分自身が気づいていないものの見方や捉え方のゆがみ・偏りをいいます。 考える以前に瞬時にかつ無意識に起こる知的連想プロセスの一つであり「高速思考」ともいえます。大量の情報からすばやくパターンを見つけだしギャップを埋め、仮説をもとに素早く行動を起こすことをサポートするうえで、重要な役割を持っています。

誰もが何らかのアンコンシャス・バイアスをもっており、それ自体が直ちに関係性に悪影響を与えるわけではありません問題は、そのような無意識の関連づけが相手に影響を与えネガティブに作用することにあります

アンコンシャス・バイアスは何気ない日々の行動や言動となって現れます。女性や若い人に対して見下したような態度や軽く扱うような言葉を投げかけたり、マイノリティを無視するような心無い発言をしたり、相手の発言に対し、眉をひそめる、腕組みをする。パソコンに目を向けながら話を聞く多態度をとる。このような小さなしぐさ、言動をマイクロメッセージ(小さなメッセージ)やマイクロインイクイティ(小さな不公平)といいます。それ自体が直ちに大きな問題とはならなくても、小さなとげとなって相手に刺さり、心を傷つけたり違和感や疎外感を感じさせるのです。小さなことだからと放置しておくと、職場の人間関係を悪化させたりパフォーマンスにも影響を与えます。
つまり「アンコンシャス・バイアス」自体がネガティブなものということでなく、その中で、他者に対して害を与えるものがある、ということでしょうか。

ここからは私の解釈ですが、どんなアンコンシャス・バイアスが、害か無害かは、地域や時代、周りの環境や状況に依っても変化するため、明確な線引きができるものでなく、グラデーションなものなのでしょう。



学生のとき、少し認知や言語(言葉)について学習をしていました。
言葉は、その言語を使う人の思考を規定します。

小学校の教科書に書いてあった気がしますが、日本語は雨に関する言葉が多い言語ということです。
「小雨」「夕立ち」「雷雨」「梅雨」「春雨」「秋雨」などなど。
言葉が多いということは、それぞれの雨が状態などによって区別されている、ということです。
これは日本が、雨が多い地域だということに由来するのでしょう。

また、イヌイットの言葉は「雪」を表す言葉の種類が多いようです。
私たちが「雪」と表す言葉でも、様々な使い分け、例えば「べちゃべちゃの雪」とか「硬い雪」とか「夜に降った雪」とか、がされているのだと思います(例えは、長坂が適当に書いています)。

また有名な言葉では、日本(語)では虹が「七色」で、欧米では虹が「六色」ということです。
「七色」と言われるから日本人は、本当は色の境界がない虹から7つの色を見出し、
「六色」とされる地域・言語では、6つの色を見出すようです。

つまり、どんな言語・言葉を使っているか、というだけでも、人々に思考には大きな影響を与え、当然そこにはバイアスが生じています。



また、次はそれぞれに「バイアス」と言えるでしょうか。
  • 血は赤い
  • リンゴは赤い
  • 信号(止まれ)は赤い
もし、身体や動物に「赤い液体」が付着していたら、脳は瞬時にそれを「血」だと判断します。
もしかしたら、ケチャップやトマトジュース、あるいは赤インクかもしれなくても。

「血が赤い」というのは、普遍的にも思われます。
しかし、タコなど血が青い生き物もいます。「血は赤い」というのはバイアスでしょうか。

リンゴも自然の産物なので、「リンゴは赤い」というのはバイアスではないようにも思われます。
しかし、いわゆる「青リンゴ」が一般的なリンゴである国や地域もあります。
となると「リンゴは赤い」というのも、バイアスでしょうか。

信号は人間の産物(人工物)です。
なぜ、信号(止まれ)が赤色かと言うと、これはヒトが赤色に強く反応するからだ、と聞いたことがあります。
なぜヒトが赤色に強く反応するかと言うと、これはまず血の色が赤であること(出血≒ケガ≒命の危険)や、緑の中で熟れた木の実を探すため、とも聞きます。
これを逆に利用して、最も注意すべき「止まれ」の信号に、赤色が採用されました。
信号はほぼ全ての国で、赤色≒止まれ、ということです。
「信号(止まれ)は赤い」は、バイアスでしょうか。
号機の色は、海外でも日本と同じ赤・黄・緑の3色が使われています。これはCIE(国際照明委員会)によって、信号機は赤・緑・黄・白・青の5色と規定され、交通信号機には赤・黄・緑の3色が割り当てられているからです。そして、ほぼすべての国で信号機の「止まれ」には赤、前に「進んでも良い」には緑が使われています。
http://qa.jaf.or.jp/drive/sign/03.htm 


これは僕の考えですが、
「血は赤い」も「リンゴは赤い」も「信号(止まれ)は赤い」も、全て「バイアス」だと思います。

というよりも、ヒトの思考はほぼ全ては「バイアス」の上に成り立っています。
それは言語に依るものもありますし、信号などその後の「訓練」によるものもあるでしょう。

バイアスが限りなくゼロに近いのは、おそらく生まれて間もない赤ちゃんくらいでしょう。



というのが、「バイアス」に関する今のぼくの認識ですが、
明日はどんな話が聞けるのか、疑問が解消されるのか、楽しみです。

では!

(再掲)申し込みはこちらから。
https://zoom.us/webinar/register/WN_SQcqY-5rQaizk3hXvwra-w