豊橋市議の長坂です。
笑いって「緊張の緩和」らしいです。

さて、豊障連(豊橋障害者(児)団体連合協議会)の記念講演会があったので、行ってきました。
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(珍しく写真を撮ってなかったので、チラシ画像)

講師は、Youtuberの寺田ユースケ氏。

とうとう行政(正確には外郭団体)の講演会にユーチューバーを
お招きするように!と、それ自体は好ましく捉えていました。

講演自体は「奇跡」を多用する、僕は苦手な感じでしたが、
参加者の反応はおおむね良さそうでした。
イギリス単身留学で障がいを笑いにしていることに感銘を受け、帰国後お笑い芸人になるも
とチラシ画像に記載の通り、その話もありました。

寺田さんがイギリスで見というのは「ミスター・ビーン」
笑いの対象は、視覚障害の方だったようです。

彼はこれを見て、

「日本では障がいはお笑いにできないのに、イギリスでは!!」

と衝撃を受けたそうです。
彼はその後、吉本興業の門を叩きます。

この話を、ぼくは複雑な気持ちで聞いていました。

それは前日に見た、この記事を思い出していたからです。
これはヤフーニュースのトップにもなっていました。

話題の元となった、ある男性若手芸人(小保内さん)の投稿はこちらです。
ここには正論しか書いてないので「全員死ね」などの言葉遣いを除いて、ぼくも首肯します。



ぼくも多少なりとも人前でお話する機会が多い仕事です。

「笑い」や「ウケ」を狙いたくなる衝動に駆られることも度々あります。
しかし現在、その衝動はほとんど抑えるようにしています。

多くの失言は、ウケを狙った(特に内輪での)リップサービスであることが多いようです。
突き詰めると、結局「誰も傷つけない笑い」って、ほとんど不可能です。

一見、誰も傷つけてない「自虐ネタ」のように、他者をイジらない笑いであっても、
その自虐と同じ属性(例えば、はげなど)を持つ他者は、顔で笑って心で泣いて、かもしれません。

一方で、障害者の寺田ユースケさんが「感銘」を受けたように、
コンプレックスを笑いに昇華できる、笑い飛ばせる、という意味で、
笑いで自身のコンプレックス解消の活路を見出す方がいるのも、また事実です。

「笑われた」か、「笑い飛ばした」か、どちらに捉えるかは、人それぞれでしょう。



話戻って、寺田ユースケさんのご講演。

「日本では障がいをお笑いにできないのに、イギリスでは!!」

の言葉。実はこれには前後があって、

「日本では、ちび・でぶ・はげは笑いにできても
 障がいはお笑いにできないのに、イギリスでは!!」

のような文脈でお話されていました。

相方への「エロいじり」に怒った小保内さんも、次のようにツイートされています。
「ハゲ・デブ」もある程度セーフの幅は広いと思います(そもそもエロにしても、ハラスメントにならないなら何しても良いと思っています)
「ちび・でぶ・はげ」と、3点セットのように言われますが、これなら笑いにしてよい、イジってよい、と誰が決めたのでしょう。

うち、ちび・はげについては、遺伝要因が強く、なかなかに本人の努力が成就し難い特徴でもあります。

結局は、イジる方、イジられる方、それを聴く方、それぞれ個々人の感性であり、その感性の総体として、時代や地域ごとに、セーフやアウトが、その境界線もぼんやり、そして流動的に定まっているような気がします。

だから、「あのときはよかったのに、今はダメ」な笑いが、昭和や20世紀を懐かしむようなテレビ番組で再現されて、「不適切」になってしまう事例が近年、散見されているのでしょう。

寺田さんが感銘を受けたという「ミスター・ビーン」も調べてみると、イギリスでの本放送は90年代前半であるため、寺田さんがご覧になったのは、きっと再放送でしょう。

そして、ミスター・ビーンの障害者をネタにするような笑いについて、嫌悪の感想を書かれているサイトも検索上位に見られるため、本国イギリスでも、もしかしたら今はNGな度合いが高くなっているかもしれません。



他方、たくさんのヒトが持っている様々な特徴や個性、属性のうち、特定の何かを「笑い」にすることが否定的になったり、話題にするのが憚られるようになるのは、必ずしもよいことだけとは思いません。

先ほど僕自身が、笑いやウケを狙いに行くことを抑えていること、書きました。

実際や、笑いやウケでなく、センシティブやナーバスな事柄については、簡単に話題にしたり、言及することについても慎重になります。

もちろん、議会など事前に準備した上で、社会課題として取り上げることはありえますが、世間話や思いつきで話すことは、慎重になります。自分が非当事者であるものについては、特に。

逆に言えば、話題に上がる頻度が減るので、そのような慎重を要することについて、他の非当事者の方々を含む人々が聞いたり、意識にのぼることも少なくなります。すると、その課題に対する、社会の認知度は下がります。

どちらがよい、という話にはならず、結局、小保内さんの仰る
『これを言ったらウケない』『立場がなくなる』というラインは存在する。そこで『昔は良かった』じゃなくて『今のニーズはこっちだ』とかじを切れるのが大切だと思いました。そういった構築主義的な姿勢によって、時代を変えるスピードを速められるんじゃないかと感じました。(前出記事より)
に収束するのかな、という気がします。

それに加えて、世間が社会課題の認知や関心を高めて行くには、良い発言・良い議論だけを求めるのはなく、ダメな発言、賛否分かれる議論に対して、いきなり突撃して拒絶していくのでなく、一旦それを許容しながら、丁寧に修正し、理解を深めていく、そういう地道な作業が必要なのでしょう。

自分の経験を振り返っても、認知や理解を深めていく過程には、誤認や勘違いを含めたトライアンドエラーは必要不可欠ですので。その過程で、拒絶されてしまうと、そのこと自体を避けて通りたくなってしまいますから。

では!