豊橋市議の長坂です。
野党でひとり会派です。

さて、こんな記事を読みました。
「コミュ力重視」の若者世代はこうして「野党ぎらい」になっていく
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56509
引用して、三行でまとめると、
  • いまの「若者」は、物心がついたときから「コミュ力」が強調されてきた世代
  • コミュ力を大切にし、波風の立たない関係を優先
  • 当然、野党の行う批判や対立を作り出す姿勢は、嫌悪の対象となる
ぼくも選んでいただく側の人間であるため、有権者(のコミュニケーション)がそのように変化しているのであれば、それを「原因は若者」みたいにするのでなく、ぼくらのコミュニケーションがそちら(少なくとも応援してほしい人たち)に合わせるべきでしょう。

しかし、この「野党ぎらい」は、コミュニケーションが原因でないと考えます。
コミュニケーションは相互的なものであるので、「コミュ障」を特定の個人の「自己責任」にすることは、そもそもおかしい(略)

もしコミュニケーションの理想がこうしたものになりつつあるとすれば、ここに「野党」的なものの存在の余地はほとんどまったくない。
と、暗に、野党(的なもの)だけがわるいのでなく、その受け手(この記事では「コミュ力重視の若者」)相互に原因があるように匂わせています。

けれども単純に、言葉がきつく・汚く、そしていつも怒っている(ように見える)からではないでしょうか。そしてこれは相互的でないので、個人で変えることができます。



喜怒哀楽の感情の中で、「怒」が最も発信力・伝播力、そして共感力があります。
そう思ったのは、おときた都議のこのブログです。
女性議員に対して「早く結婚しろ!」「子どもは産めないのかっ!」と野次を飛ばす、最低最悪の議会へ
http://otokitashun.com/blog/togikai/3598/
今振り返れば、おときたの「出世作」となったこのブログ。
書き出しは、こちら。
まず始めに書きますが、怒っています。
すごく。
普段はニコニコしている人だから、たまの「怒っています」に効果があります。
いつも怒っている人は、ただの近寄りたくない人です。



冒頭の記事では、このような記載もあります。
イデオロギー的にさして違いがない政党が競争することになるので、政治リーダーの「好感度」が重視されるようになる。ここでは「こだわり」を持って抵抗したり、金切り声をあげて反対したりすることは忌避される(略)

「こだわり」を持つことも、「情念」を出すことも禁じられれば、対抗する側(「野党」は英語ではoppositionである)はその分ますます無力になる。
金切り声は忌避されるでしょうが、「こだわり」や「情念」が忌避されるとは思いません。
こちらをご覧ください。
昨日、参議院の定数6増とする改正公職選挙法が成立しました。

自民党はかつて当時の民主党と、国会議員が「身を切る改革」を進めると約束してきました。
しかし自民党は議員定数を増やすという、自分たちが有利になることだけを考えた案を恥ずかしげもなく出し、強行しました。
国民には消費税増税などの負担を求めておきながら、です。
消費税を上げる前の参議院選挙で、定数を増やすことに理解を得られると思っているのでしょうか。

自民党議員内で、何人か採決を棄権するかもしれない。

そんな話が直前に聞かれましたが、棄権した議員は一名のみ。
定数増について「国民をなめるな」と語っていたあの有名議員も賛成票。
場内からブーイングが出ましたがご本人からは「名誉あるブーイングだ」のコメント・・・・。
どうして自民党は身内に甘いのでしょうか。

来年の参議院選挙に間に合わせるよう急いだようですが、
「拘束名簿」「非拘束名簿」が混在し、新たに「特定枠」が出てくるなど、この新制度は分かりにくくすぐに国民の中で理解が深まると思えません。

この問題点を分かりやすく言えば、
今までの参院選挙は個人名を書き、得票数が多い順番から当選していましたが、この法改正では、比例代表で特定枠というのを設け、
特定枠の人がどんな投票数でも必ず当選できるという仕組みを取り入れたことです。

例:
当選者2名を選ぶとします。
立候補者は3人。

仮に特定枠の候補が100票で、特定枠でない非拘束名簿に記載された候補者が1000票、続いて800票だった場合、特定枠100票の人、非拘束名簿の1000票の人が当選、800票とった人は落選となります。
現行制度であれば、確実に落選する投票数の人も「特定枠」で救済してくれるのです。
これを民主主義といいますか?
選挙と言いますか?

何のために特定枠を作ったかというと
合区のために立候補する選挙区をなくした議員のためです。
その議員を救済する目的なのです。
自民党の賛成理由の一つには「野党にも議席を獲得するチャンスがあり党利党略ではない」というものもありました。
そんなことを言われても、野党はそろって反対をしてます。

参議院の定年制の「特例」もそうですが、
自民党は自分に甘すぎます。
活躍できる人は何歳でも活躍していただきたいという点は全く否定しません。ただ、「特例」をあまりにも頻発していますし、実際には本会議や委員会を見る限り、長時間の着席するという業務にすら耐えられていない人がたくさんいます。
「国会議員」という過酷な業務をこなすために、年齢的な体力の限界はあると感じます。

以前勤めていた環境で、若い人の台頭がおもしろくない上司という人を見たことがありますが、
そんな気持ちで居座られたらたまりません。

後輩を育てるという気持ちになる人は、
人間として素晴らしいということもその時学びました。

いつまでも自分が椅子にしがみつくのが国のためになるのか・・
身を切る改革とはそういう観点を持つことがとても大切だと思います。
https://www.facebook.com/ishikawa.kaori.12/posts/1206932426114442
少し長いですが、この文章からいやな感じを受けますか?
逆に「こだわり」や「情念」がないように感じますか?

これは、立憲民主党の1期生・石川かおり議員の投稿です。
とても丁寧、誠実に書かれているように思います。
静かな怒りも感じる一方、言葉づかいは丁寧です。
例えば、この文章に語気を強める「!」はひとつもありません。

この石川議員も、おときた都議も学生時代からの個人的な友人であるため、その分割り引いて読んでいただければと思います。
それでも、ふたりとも野党ですが、その伝え方・言葉選びは「コミュ力重視の若者」にも受け入れられるものであるかと。



過去にこんなブログも書いたように、まず僕自身が、きつい汚い言葉の文章を読みたくない、聞きたくありません。
ぼくがインターネットで信じない情報 - 愛知豊橋・長坂なおと のblog 
http://nagasakanaoto.blog.jp/170704.html

言葉遣いが丁寧でない記事、
言葉が乱暴な情報(特に主義主張)については、
信じないことにしています。

端的な見分け方としては、他人の名前、
特に会ったことがない人の名前を「~氏」「~さん」など、
敬称や肩書なしで呼び捨てにしているかどうかです。

例えそれが、その人を批評批判している言説であっても。
いやむしろ批判記事こそ、言葉遣いは丁寧であるべきかと。

特にそういう記事をシェアしていると、
自分もそのような人間だと思われかねません。
ぼくも野党です。
力がなく、話を聞いてもらえない野党こそ、丁寧な言葉遣い/言葉選びが大切だと考えます。

「怒り」には伝播力があります。
だから、その成功体験(「保育園落ちた。日本死ね!」のような)から、怒りの感情に乗せたきつい言葉が効果的だと思うかもしれません。
しかし、それは逆効果。怒りは「たまに」だから効果があります。

いつも怒っていて大声を上げる人は、ただの近寄りたくない人です。

では!