豊橋市議の長坂です。
使いたい魔法は「ルーラ」です。
さて、『現代の魔法使い』落合陽一さんが豊橋にいらっしゃるそうです。
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落合さんが年始に出されたこちらの本、
周囲でとても評判がよく、気になっていました。
豊橋にいらっしゃるということで、急いで購入し、読みました。
以下、感想です。
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この本で最も読むべきは、「はじめに」「第1章欧米とは何か」「第2章日本とは何か」です。
本書で落合氏の優れたるは「バックキャスト」能力の高さです。
「バックキャスト(backcast)」の反対語は「フォアキャスト(forecast)」で、
日本語では「予報」「予測」「見通し」などと訳されます。
同じく未来を有り様を示す言葉である「予想」や「予言」と異なるのは、現在の状況を元に、未来の有り様を示していることであり、身近では「天気予報」が「フォアキャスト」です。
対する「バックキャスト(backcast)」
日本の統治機構の本質が、大和朝廷から1300年変わっていないこと。
秀吉の統治を「中央集権」、徳川の統治を「非中央集権」とする見方は目から鱗です。
第二次世界大戦後、天皇は神から人へ、統治者から象徴へと「大きく」変わった、というのが一般的な見方ではないかと思います。
しかしむしろ、明治~第二次世界大戦での天皇のあり方が「日本の歴史の中では奇特な時期」であり、「精神構造の主体としての天皇があった上で、執行者」が別にいる、というのが長年の日本のスタイルであることを述べています。
秀吉・徳川については、秀吉の太閤検地や朝鮮出兵、徳川の参勤交代や鎖国は知っていても、それを「中央集権・外交的」「非中央集権・内需指向」と対比的に捉えたこと、ぼくはこれまでありませんでした。
このあたりをして、「バックキャスト」能力の高さと僕は言っています。
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そしてぼくは、落合氏はこの秀吉的な「自由経済的なオープンな世界」を指向するタイプであると思っていました。そのため、この一節にはとても驚きました。
その「現実・実態」の大元となるのが、日本/日本人とはどんなで、何が合って、何が合わないか、ということです。本書の言葉を使うなら「(日本の)考える基軸」「考えるための道筋」「『どうやってものを考えたらいいか』という基盤」、これが日本/日本人とは何か、ということです。
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また、それ以外に、
最後に、おもしろかった箇所をご紹介。
落合さんも読んでいるのだろうか・・・
では!
使いたい魔法は「ルーラ」です。
さて、『現代の魔法使い』落合陽一さんが豊橋にいらっしゃるそうです。
豊橋にお呼びしたいと思っていたので、企画者である技科大の近藤亮太さんたち、本当にありがとうございます。『現代の魔法使い』落合陽一氏の特別講演会を開催します。https://www.tut.ac.jp/event/180709-11138.html『現代の魔法使い』落合陽一氏(筑波大学 学長補佐・准教授)をお招きして特別講演会を開催します。聴講自由ですので、学内・学外の皆さんはぜひご参加ください。本講演会は博士課程教育リーディングプログラムの授業(バトンゾーン特論)として開催するもので、学生自らが企画したものです。本企画は、リーディングプログラム履修生の情報・知能工学専攻 近藤亮太さんらによるものです。日時: 平成30年7月9日(月) 16:30~18:00場所: A棟101号室演題: TBA概要: TBA
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落合さんが年始に出されたこちらの本、
周囲でとても評判がよく、気になっていました。
豊橋にいらっしゃるということで、急いで購入し、読みました。
以下、感想です。
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この本で最も読むべきは、「はじめに」「第1章欧米とは何か」「第2章日本とは何か」です。
本書で落合氏の優れたるは「バックキャスト」能力の高さです。
「バックキャスト(backcast)」の反対語は「フォアキャスト(forecast)」で、
日本語では「予報」「予測」「見通し」などと訳されます。
同じく未来を有り様を示す言葉である「予想」や「予言」と異なるのは、現在の状況を元に、未来の有り様を示していることであり、身近では「天気予報」が「フォアキャスト」です。
対する「バックキャスト(backcast)」
[他動詞], [自動詞] (過去の時代や出来事を)(研究や資料をもとに)再構成する,描写する僕なりに表現をすると、過去と現在が連綿と続くことを前提に、現在を起点としてその元となる過去の本質を見抜くこと、その力、という感じです。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/en/backcast/
日本の古代を語る上でのポイントは、出雲政府と大和朝廷の勢力争いです。(略)「出雲VS大和」の争いは、日本の統治構造を形づくる上で決定的な影響をもたらしました。(略)それ以後は、基本的に天皇という概念を中心に日本は統治されています。(略)
すなわち、「出雲VS大和」の争いが終わったところで、日本の統治構造は半分ができあがり、さらに中臣鎌足が天皇スタイルによる統治を仕組み化したことで、統治構造の基盤が完成したのです。
(本書p68-70より)
この世界大戦(長坂注:戦国時代のこと)では、2つの選択肢がありました。ひとつは秀吉的世界。中央集権の自由経済的なオープンな世界で外の国を攻めるなど外交的成長戦略を考えます。もうひとつが、徳川的世界。これは非中央集権の地方自治で、内需に頼る鎖国戦略です。この2箇所を読んだとき、「ゾクゾク」っとしました。
(本書p73より)
日本の統治機構の本質が、大和朝廷から1300年変わっていないこと。
秀吉の統治を「中央集権」、徳川の統治を「非中央集権」とする見方は目から鱗です。
第二次世界大戦後、天皇は神から人へ、統治者から象徴へと「大きく」変わった、というのが一般的な見方ではないかと思います。
しかしむしろ、明治~第二次世界大戦での天皇のあり方が「日本の歴史の中では奇特な時期」であり、「精神構造の主体としての天皇があった上で、執行者」が別にいる、というのが長年の日本のスタイルであることを述べています。
秀吉・徳川については、秀吉の太閤検地や朝鮮出兵、徳川の参勤交代や鎖国は知っていても、それを「中央集権・外交的」「非中央集権・内需指向」と対比的に捉えたこと、ぼくはこれまでありませんでした。
このあたりをして、「バックキャスト」能力の高さと僕は言っています。
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そしてぼくは、落合氏はこの秀吉的な「自由経済的なオープンな世界」を指向するタイプであると思っていました。そのため、この一節にはとても驚きました。
僕らは日本をIT鎖国できなかったせいで、中国のようにアリババやテンセントやバイドゥを生むことができませんでした。2000年代の日本は、IT鎖国をした中国をバカにしていてグレートファイアウォールと揶揄していましたが、結果として中国のほうが正しかったのです。本書は全体を通じて、落合さんの嗜好が書いてあるわけではなく、「現実・実態がこうだから、こう指向するのがよいよね」というスタンスで書かれています。
(本書p56より)
その「現実・実態」の大元となるのが、日本/日本人とはどんなで、何が合って、何が合わないか、ということです。本書の言葉を使うなら「(日本の)考える基軸」「考えるための道筋」「『どうやってものを考えたらいいか』という基盤」、これが日本/日本人とは何か、ということです。
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また、それ以外に、
そもそも、「欧米」というものは存在しません。欧州と米国は全く別物です。欧州と米国が一緒だと思っている西洋人は誰もいません。(略)
我々は「欧米」という言葉を使うことをとりあえずやめた方がいい。「欧米」ではなく、米国、英国、ドイツ、フランスというふうに国の単位で語るべきです。また、いつの時代の、どの国か、ということも重要です。そうするだけで、議論がとてもしやすくなります。具体例がなく、普段、何気なく使っているくせに意味を言えない単語が我々の言葉には多すぎる。
(本書p30より)
近代と何かこのあたりは思わず「うーむ」とうなずきながら付箋を貼ってしまった箇所です。
近代の仕事、サービス、教育などの基本的な枠組みは人材のタイムマネジメントの問題だと考えています。(略)産業革命時の一番大きい変化のひとつは、タイムマネジメントという概念が導入されたことです。
(本書p108より)
最後に、おもしろかった箇所をご紹介。
たとえば二子玉川はサラリーマンの憧れの町として語られていますが、駅を降りると何か構造がいびつです。(略)まるでドラマのシーンを切り取ったような光景が広がっています。自然発生的には生じえないシナリオを物理化したような町になっているのです。(略)まさかの、東京カレンダーURL!
※二子玉川 2017年住みたい街ランキング二位(chintaibest.com調べ)になるほどの人気の街。メディアにもセレブの街というイメージが大きいように感じます。
「二子玉川の妻たちは」https://tokyo-calendar.jp/story/5012
(本書p81, 96)
落合さんも読んでいるのだろうか・・・
では!