豊橋市議の長坂です。
知らざるを知らずと為すこれ知るなり。

さて、先日こんなイベントに行ってきました。
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豊橋出身で、昨年から慶應(SFC)に通う学生が地元で開催したイベント。
高校のときから声をかけてくれた、チラシの写真下の変わり者(褒め言葉)の彼です。
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二十歳前後、僕より15歳ほど年下の学生4人が発表をしました。
二十歳の自分を振り返ってみれば、ぼくの完敗です。

もう「おっさん」で学生でもないのに、ご案内いただき感謝です。



「後生畏るべし」という言葉が、僕は好きです。

後進がより有能・優秀でなければ、社会は進歩しない。
と考えるからです。

そうは言っても、個人として、後輩に負けるのはやはり悔しい気持ちもあります。
ほんの10年ほど前「後輩」は、ほとんど学生だったので、「社会人と学生」という立場の違いからくる過小評価も含めて、それほど脅威を感じることもありませんでした。

しかし、小布施の大宮さん(5つ下)に会い、語り、
「あぁ、ぼくは彼にほぼすべての面で負けている」
と、気持ちいいほどの完敗感を感じました。

そして今でも優秀な後輩はどんどん生まれています。



先のイベント「東三河学生スタートアップ」で明らかに感じたのは、
15ちがうと、もう感性・価値観、ものごとの考え方の基礎基本部分から、
かなり違いがあるということです。

もちろん彼らの方が「現代的」なものに、適応されています。

「知識」「情報」を時代の最先端にアップデートし続けることは、まだできそうなものですが、
「感性」「価値観」を最先端に合わせて、変更していくことはなかなかにきついものがあります。

不思議なもので、15上の先輩とは「考え方ちがう」と思えるのに、
15下の後輩は「同じ考え方」を前提でいてしまうのです、なぜでしょう。



一方、この仕事をしていると、過去を知っていることの強みを
いやおうでも感じることがよくあります。

そのことが決まった経緯、当時の方々の感情、
なぜこれがここにあるのかなどなど。

未来に続く最先端の現在は、有象無象で評価が定まっていないものが多くであるのに対し、
過去に対して、多くはある程度、評価が定まっています。

「未来」で勝負しても、若人にアドバンテージがあるため、そこで真っ向から勝負を挑まない。
「過去」で武装して、違う側面から勝負していくのが、議論ひとつ取っても、双方にとって得るものがある、
有意義なものにもなるのではないかと思い始めています。

また、対諸先輩についても
「未来」については、ぼくらのアドバンテージがあるので、
彼ら以上に「過去」に強くなれば、まさに二刀流なんじゃないか、
そんなことを最近考えています。



何が言いたいかというと、本当に最近ブラタモリが好きです。
早く豊橋にも来てください。
もしブラタモリが豊橋に来たら?その1 
http://nagasakanaoto.blog.jp/180528.html
もしブラタモリが豊橋に来たら?「高低差」豊川用水50周年番外編
http://nagasakanaoto.blog.jp/180531.html
改めて告知しますが、豊橋だいすきカレッジでの
「もしブラタモリが豊橋に来たら?その2」
は、7月11日(水)19時~を予定しています。

では!