豊橋市議の長坂です。
蝶々さん(エッセイスト)は豊橋出身です。

さて、知り合いからご案内いただき、地元でこちらの創作落語を聞いてきました。
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桂春蝶独演会
ニライカナイで逢いましょう~ひめゆり学徒隊秘抄録~


約2時間半、前半はいわゆる「落語」で、
(といってもプロの落語を聞くのが初めてなので、これがスタンダードだったのかわかりませんが)
「仲入り」という休憩が入り、後半が「ニライカナイで逢いましょう」。

前半にあった、「芸術」と「芸能」の違いのお話、
「芸術」は作者と作品の間で成立する、
「芸能」は自分とお客さんが依存し合う関係で成立する(ひとりでは成立しない)。
かなり納得感がありました。

また、前半と後半で、衣装や照明も変わり、演出も入念な印象でした。



話の核心に触れない程度に説明すると、ひめゆり学徒隊の他に、特攻隊の話も。
そして、そこには、
  • 軍の命令で特攻する聡明な若者
  • 若者の全うな進言を上にあげず、大本営に従い、引き続き特攻を命じる部隊長
  • もっと偉い大本営の人
と、イメージしやすい登場人物が。

当然に、焦点は軍の命令に従うしかなく、特攻する聡明な若者の儚い命です。
観客もそこに共感し、すすり泣くような声も聞こえました。

そしてぼくも思いました。
「こんな戦争を二度としてはいけない」と。



多くの人は、聡明な若者に重ね合わせて見ていたように思います。

けれども、きっとぼくを含めた多くの人がなりうるのは、
部下の全うな進言と逆らえない上司(大本営)の命令で板挟みになる、
中間管理職的な弱い部隊長の方でないか、そんなことを考えていました。

この部隊長をわる者扱いし、非難するのは簡単だけど、
きっと部隊長には部隊長の理由・ストーリーがあり、
それゆえの人間的な弱さもある。

純粋無垢に散る若者や、幼く儚かった命を偲んで、
戦争の悲惨さや忌避感を培うことは重要です。

けれども、最近のニュースなどを見ていて思うのは、
軍隊的な上意下達の組織がまだ日本のそこかしこにあり、
「ちゃんと上司の命令に従って」残念な結果に繋がっています。

中間管理職的な部隊長になったときに、
部下を守り、部下の進言に耳を傾け、上に物申せるのか。

そういう人間の弱い部分を照らし、浮かび上がらせ、
内省・自問するような話も必要でないか。

「こんな戦争を二度と起こさない」
ため、次に必要なのは、この部分なのではないか。

そんなことを考えながら、落語を聞いていました。

では!