豊橋市議の長坂です。
豊川稲荷はお寺です。
さて、仕事柄、年齢の割にお葬式に行ってる方だと思います。
そんなぼくでも先日、初めての体験がありました。
「教会」でのご葬儀です。
■
はじめてのことだったので、事前に大先輩に質問をしました。
そして教会へ・・・あ、、なんか、、いいかも。
■
その教会がなんとなくアットホームな感じだったからかもしれません。
初めて行く教会であり、過去に教会ご葬儀の経験がないため比較ができず、
これが普通なのか、その教会が特別そういう雰囲気なのかわかりませんが。
実はぼく、育った家庭が無宗教(多宗教?)的というかこだわりがなく、
基本仏教ですが、幼稚園がキリスト教系でした。
だから「教会」的な場所に慣れているので、
懐かしい気持ちすら抱きました。
■
そして、改めて思ったのは歌やピアノなどの音楽が多いということ。
初めてなのに「改めて」とは変な話ですが、
「幼稚園のときもこんなだったな、よく歌ったな」と。
幼稚園のときに歌っていた曲(賛美歌)もありました。
小中学生のとき、合唱ってそんな楽しいと思ったことないですが、
最近はたまの機会だからか、みんなで歌うって意外に気持ちいい、と。
「歌声喫茶」的なものが、往時の若者を中心に流行っているようですが、
週に1度、ミサとかで集まってこうやってみんなで歌うの、
ある程度の年齢になったら、気持ちいい習慣になりうるかも、という小さな発見。
そして、思ったのが、
「あぁ、ここはお葬式をするだけの場じゃないんだ」
■
今日はお葬式をしているけれど、毎週日曜日にはきっとミサをしていて、
もしかしたらここで結婚式をしている日もある。
故人がここで結婚式をしたのかは知らないけれど、
ここが好きな場所であったのは、そのエピソードからよくわかりました。
そういう場所を最後のお別れの場所とできるのは、
ある意味で幸せかもしれない、とも思い巡りました。
■
そう思うと身の回りで見ると、
お寺での結婚式(仏前結婚式)は経験ないし、
神社での葬儀もたぶん経験ないので、
結婚式をしたところで、葬儀を迎えるというのは、
たぶんなかなかないことでしょう。
今のぼくにとって、欧米の地域コミュニティ的な意味での教会に近い場所は、
「町内のお祭り」もする最寄りの神社(いわゆる氏神様)と思いますが、
この神社で、僕が結婚式をしたり、葬儀をすることはたぶんないでしょう。
周りでよく見る光景は、
クリスマスを祝い、お寺で除夜の鐘を鳴らし、神社に初詣し、
バレンタインに一喜一憂し、お神輿を担ぎ、盆には墓参り。
生まれたらお宮参りで神主様にご祈祷いただき、
神父様・牧師様の前で永遠の愛を誓い、
最期は住職様にお経をあげていただく。
一神教とか、多神教とかそういう分け方をせず、
とても多様な宗教環境の中で生活をしています。
■
そうした中で、既にある程度の結婚式がそうであるように、
「どういう別れの場を持ちたいか」という視点で宗教を見ることは、
とても外形的で失礼かもしれない一方、
宗教が死(死生観)と不可分であるから、
もしかしたら本質的かもしれないです。
そんなことに気づかせてくださった方に、
花を添えてお別れをしてきました。
では。
豊川稲荷はお寺です。
さて、仕事柄、年齢の割にお葬式に行ってる方だと思います。
そんなぼくでも先日、初めての体験がありました。
「教会」でのご葬儀です。
■
はじめてのことだったので、事前に大先輩に質問をしました。
- 服装⇒仏式と同じような黒の礼服(喪服)と黒ネクタイでOK
- 数珠⇒持っていかない
- 香典⇒表書きは「お花料」。袱紗(ふくさ)に入れるのは仏式と同じ。
そして教会へ・・・あ、、なんか、、いいかも。
■
その教会がなんとなくアットホームな感じだったからかもしれません。
初めて行く教会であり、過去に教会ご葬儀の経験がないため比較ができず、
これが普通なのか、その教会が特別そういう雰囲気なのかわかりませんが。
実はぼく、育った家庭が無宗教(多宗教?)的というかこだわりがなく、
基本仏教ですが、幼稚園がキリスト教系でした。
だから「教会」的な場所に慣れているので、
懐かしい気持ちすら抱きました。
■
そして、改めて思ったのは歌やピアノなどの音楽が多いということ。
初めてなのに「改めて」とは変な話ですが、
「幼稚園のときもこんなだったな、よく歌ったな」と。
幼稚園のときに歌っていた曲(賛美歌)もありました。
小中学生のとき、合唱ってそんな楽しいと思ったことないですが、
最近はたまの機会だからか、みんなで歌うって意外に気持ちいい、と。
「歌声喫茶」的なものが、往時の若者を中心に流行っているようですが、
週に1度、ミサとかで集まってこうやってみんなで歌うの、
ある程度の年齢になったら、気持ちいい習慣になりうるかも、という小さな発見。
そして、思ったのが、
「あぁ、ここはお葬式をするだけの場じゃないんだ」
■
今日はお葬式をしているけれど、毎週日曜日にはきっとミサをしていて、
もしかしたらここで結婚式をしている日もある。
故人がここで結婚式をしたのかは知らないけれど、
ここが好きな場所であったのは、そのエピソードからよくわかりました。
そういう場所を最後のお別れの場所とできるのは、
ある意味で幸せかもしれない、とも思い巡りました。
■
そう思うと身の回りで見ると、
お寺での結婚式(仏前結婚式)は経験ないし、
神社での葬儀もたぶん経験ないので、
結婚式をしたところで、葬儀を迎えるというのは、
たぶんなかなかないことでしょう。
今のぼくにとって、欧米の地域コミュニティ的な意味での教会に近い場所は、
「町内のお祭り」もする最寄りの神社(いわゆる氏神様)と思いますが、
この神社で、僕が結婚式をしたり、葬儀をすることはたぶんないでしょう。
周りでよく見る光景は、
クリスマスを祝い、お寺で除夜の鐘を鳴らし、神社に初詣し、
バレンタインに一喜一憂し、お神輿を担ぎ、盆には墓参り。
生まれたらお宮参りで神主様にご祈祷いただき、
神父様・牧師様の前で永遠の愛を誓い、
最期は住職様にお経をあげていただく。
一神教とか、多神教とかそういう分け方をせず、
とても多様な宗教環境の中で生活をしています。
■
そうした中で、既にある程度の結婚式がそうであるように、
「どういう別れの場を持ちたいか」という視点で宗教を見ることは、
とても外形的で失礼かもしれない一方、
宗教が死(死生観)と不可分であるから、
もしかしたら本質的かもしれないです。
そんなことに気づかせてくださった方に、
花を添えてお別れをしてきました。
では。