豊橋市議の長坂です。
ブラタモリが好きすぎて、豊橋に来てほしいです。

さて、度々書いていますが「文化」という言葉が苦手です。

その理由は、人にとってそれが意味・意図するものが違うから。
例えば、少なくとも主に次の3つ意味があると思います。
  1. 習慣・生活様式(食文化・企業文化など)
  2. 歴史的・伝統的なものや高尚・高級なもの(文化財など)
  3. 他の生物に比して人間的なもの、人権的なもの(憲法の「文化的な生活」など)
あなたが言う「文化」とは何なのか、を確認しないと、話が噛み合いません。
いろんな意味を持つ曖昧な言葉、ぼくは苦手です。



しかし、昨日の成人式でハッとさせられました。
1.教養をたかめ文化の町をつくりましょう
毎回、唱和している「豊橋市民愛市憲章」最後の一節です。
少なくとも、豊橋市においては「文化の町をつく」る手段が明言されており、
そこから豊橋の目指す「文化の町」がどんなものかも類推できます。

「個々人が高い教養を持っている町」

これが、豊橋市が意味する「文化の町」であるはずです。



こうなると「では、教養とは何か」という疑問が次に浮かびます。
【教養】学問・知識を(一定の文化理想のもとに)しっかり身につけることによって養われる、心の豊かさ。 - 岩波国語辞典
教養(きょうよう)とは個人の人格や学習に結びついた知識や行いのこと。これに関連した学問や芸術、および精神修養などの教育、文化的諸活動を含める場合もある。(略)

一般に、独立した人間が持っているべきと考えられる一定レベルの様々な分野にわたる知識や常識と、古典文学や芸術など質の高い文化に対する幅広い造詣が、品位や人格および、物事に対する理解力や創造力に結びついている状態を指す。
https://ja.wikipedia.org/wiki/教養
豊橋市では今年度から「『文化のまち』づくり課」ができました。
先ほどの愛市憲章と合わせると、文化の町をつくるためには、
ひとりひとりが「心の豊かさ」を高めることが必要で、
そのために「学問・知識をしっかりと身につける」と。

つまり『文化のまち』づくりには、非常に教育的・生涯学習的な側面がありそうです。

立派な建物を建てたり、有名な人を呼んだりすることが「文化のまちづくり」ではなく、
ひとりひとりの学問・知識や心の豊かさの向上を促進することが、
豊橋市が言う(愛市憲章に沿う)文化のまちづくり、と言えそうです。
とても内省的・個人的な取り組みです。

そうなるとまずは、小中学生の学習環境の向上こそが「文化のまちづくり」のために、
最優先でするべきことに思われますが、それの話はまた機会を見て。



「教養」の言葉の定義(解釈?)について、私が最も好きな、
というかすっと心に落ちたものがこちら。
自分一人で時間を潰すことができる能力を『教養』と呼ぶのである。」by中島らも
http://blog.livedoor.jp/retire2k/archives/42705239.html
これを体現しているのが、NHK『ブラタモリ』でのタモリさんと考えます。

地元の人ですら「つまらないもの」と見なしているどころか、
気にかけない・目に留めない・意識にも上らない、
道や石ころや土地の勾配に意識を止め、そこをヒントに、
タモリさんの博学な知識から、その土地やその町の成り立ちを紐解く。

タモリさんを前にすれば「つまらないもの」が、
地球規模の歴史の語り手に早変わりする。
小さな変化や違いから、大きなストーリーに思いを馳せられる、
これこそ教養だと、思わされます。



「ブラタモリ」のタモリさんを見ていて痛感するのは、
「文化的な何か」は外から与えられると思っていたり、
所望したりする自分の恥ずかしさであって、
「文化がない」とは、
「文化を感じ取れる教養が自分にはない」
の裏返し、自分自身に返ってくる言葉であると、
豊橋市民愛市憲章から教えられました。



最後に、豊橋市民愛市憲章の全文を紹介します。
わたくしたちが住んでいる豊橋は、ながい伝統と静かな自然につちかわれて発展してきました。この土地はおたがいの生活の根拠の地であり、市民共通の郷土でもあります。この豊橋をさらに、豊かな明るく美しい理想的な近代都市にするため、ここに愛市憲章をさだめました。

わたくしたち豊橋市民は
1.心をあわせ美しい町をつくりましょう
1.よく働き豊かな町をつくりましょう
1.愛情をもちあたたかい町をつくりましょう
1.きまりを守り明るい町をつくりましょう
1.教養をたかめ文化の町をつくりましょう

 - 豊橋市民愛市憲章|豊橋市
http://www.city.toyohashi.lg.jp/8056.htm
ぼくが生まれる20年も前(昭和38年・1963年)に制定されたいうことで、
豊橋には素晴らしい教養人がいたようです。

では!