豊橋市議の長坂です。
豊橋にも「ブラタモリ」来てほしいです。

さて、続日本100名城選定記念 第1回とよはしシンポジウム
『城の魅力-吉田城と戦国-』に、
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http://www.toyohashi-bihaku.jp/?p=8390
https://www.facebook.com/events/1268186389994260
行ってきました。
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なんだこの人は!
吉田城見学会には350名が押し寄せ、
シンポジウムは500席満員御礼。
https://www.instagram.com/p/Bb6wFweDgRK/
すごい。
吉田城の魅力について、城郭研究者で滋賀県立大学教授の中井均さんは「石垣と三の丸土塁。近世の城で、これだけ見られるのは魅力」と言い、城郭研究者の日本城郭協会理事・加藤理文さんも「中枢部の土塁が残っているのはすごいこと。初めて見た時、驚かされた」と、共に堀を掘った際に出た土を積み上げて造った土塁を挙げた。

 吉田城の今後に関し、中井さんは「明治維新後の城跡の歴史も遺産」と強調。陸軍の連隊が設置された戦争遺跡や、現在の公園、美術博物館、市役所、中学校なども含めて活用を考えるよう提案した。

 加藤さんは「石垣や遺構を壊す余分な樹木を切ってほしい」と求めたほか、「お城は隔絶された空間だからいい。吉田城は、残っている堀をきれいにすると『ここから、お城なんだ』と分かるようになる」と助言した。
http://www.higashiaichi.co.jp/news/detail/2039
なるほど。



ぼくが豊橋の吉田城や各地のお城や興味を持ち始めたのは、
ごくごく最近の「にわか」ですが、その理由は、
  • 吉田城 ⇒ 豊橋の歴史の一部として
  • 各地のお城 ⇒ そのまちの成り立ちを考えるのに重要なポイントだから
  • ブラタモリの影響
けれども、これだけの人を惹き付ける城について、
なにがそんなに惹き付けるのか、その魅力をもう少し考えてみました。



その1:戦の拠点として

大河ドラマなど見ていて思うのは、城というのはまず戦の拠点です。
取った・取られた、どう守るか、どう攻めるか。

もちろん戦争はよろしくないですが、スポーツにしても、
ビジネス用語の多くが、軍事用語から来ていることからしても、
ヒトは本来的に「勝ち負け」に対して、強い関心があるものと思われます。

在りし日の軍師が、どうしてここに城を築いたのか(地の利)、
どうしてこういう造りとしたのか、に思いを馳せ、推測し、
議論を交わすことは、楽しそうです。




その2:権威の象徴として

当時の人は立ち入ることすら許されなかったお城の多くに、
今は多くの人が入ることができます。

殿様・大名気分、一国一城の主を疑似体験することができます。




その3:建築物として

当時の技術の粋を結集して作られているはずです。
また、権威の象徴たるべき、美しさも兼ね備えています。

自ずと魅力を感じずにはいられないかもしれません。



その4:土木工事として

敢えて「建築物として」の城と分けたかった「土木工事として」の城。

「戦に備えて」の堀や壁の建造もありますし、
城下のまちづくりとして、どのように水路を巡らせ、
道をつくり、区割りをつくったか。

非常に興味深いです。



その5:ミステリーが多い

「勝てば官軍」「歴史は勝者がつくる」という言葉のように、
城は勝者が、あるいは新たな城主がどんどん手を加えていきます。

例えば、大阪城といえば、豊臣秀吉の城として有名ですが、
今見える阪城は豊臣秀吉が築城したものと大きく違います。
地下に眠る秀吉の大坂城

1615年の大坂夏の陣で豊臣方が敗れた後、徳川幕府により豊臣大坂城を覆い隠すように徳川大坂城が築かれて以来、今も地下に眠り続けています
http://www.toyotomi-ishigaki.com/hideyoshi/index.html
つまり、今も城は謎が多いのです。
シンポジウムでも「掘ってみないとわからない」という言葉が何度も聞かれました。

謎が多いということは、議論・空想の余地がたくさんあるということ。
それも人を惹きつける理由かと。



その1~5と上げてみましたが、この中で特にぼくの興味を惹くのは、
その1の中でも「どうしてここに城を築いたのか(地の利)」の部分と、
その4の「城下のまちづくり」の部分です。

今でも残る各地の城の多くは、公園(城址公園)や、県庁や市役所、
あるいは学校となっており、現在のそのまちの成り立ちに大きな影響を与えています。



さてここからは、聞く人によっては、気分を害するかもしれません。

城と言って、今この地方で紙面を度々にぎわせているのが、
総事業費500億円という名古屋城の木造建築による再建です。
名古屋城天守閣、木造での復元決まる 事業費500億円:日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXLASFD23H2P_T20C17A3000000/
この話を初めて聞いたとき、ぼくはあきれました。
あるいは、名古屋市はお金があるんだなぁ、と。

500億円のうち100億円を寄付で賄うとしています。
市は2022年末の天守木造化完成を目指している。事業費は最大505億円と見込んでおり、河村氏は最終的に100億円を寄付で賄う意向だ。

名古屋城木造化、寄付1億円超え 市長「郷土愛の表れ」:朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASKBZ3TBJKBZOIPE00M.html


豊橋市のシンポジウムでは、500人の人が集まりました。
これにはぼくも驚いています。

自分の中で、考えを改めないといけないかも、
と心動く部分もあります。

名古屋の河村市長が、これだけ力強く木造化を推進できるのも、
それを裏付ける精神的なものを得ているのかもしれない、とも思ってしまいます。



ぼくは、というかぼくらは、特に週末や祝日には、
地元で開催される式典や大会、催しなどに足繁く行っています。

お呼びいただくものもあれば、お呼びいただいていなくても、
歩行者天国などオープンなものであれば、行ったりします。

何を求めて行くというよりは、
何か「気づき」があるかもしれないから。

もちろん、顔を広げに行くという側面はあります。
でもそれだけではなく。

「ねぇ、なおとくんちょっと聞いてよ」

と何気なく話かけられることから、気付きを得ることはよくあります。
今回であれば、吉田城に対する地域の方々の思いについて、肌身で感じました。



「空気」という言葉があります。

自分が思っている「空気」と、実際の「空気」には、
当たり前ですが、差があります。
至らない部分もたくさんあると思っています。

だからその差をどれだけ小さくできるか、は、
「声」を市政に届ける仕事をする身として、
とても重要だと思っています。

市政に対する関心が強く「陳情」「要望」などの形で、
届けられる声も、もちろん重要ですが、
そこまで表面化していない「声」や「気配」を、
感じ取ることにも、とても気を張っています。



もちろん、多くの人が望むからと言って、
未来の市民への負債を増やさないため、
お金のことも考えなきゃいけない。

少数の人の深刻な悩みの解決と、
多数の人の「なんとなくこのままがいい」について、
どこで折り合いをつけるのか、ということもあります。

いずれにしても、今回の城のシンポジウムでは、
ぼく自身、大きな気付きがあったし、
やはり、外に出ることは大切だと痛感しました。

では!