豊橋市議の長坂です。

昨夜、こんなブログを書きました。
このブログから、問い合わせをいただき、
先ほど「学生時代の友人」としてインタビュー対応をしました。



概ね、丁寧なインタビューをしてくださったと思っています。
しかし中には、答えをリードするような質問もありました。


Q. 佐戸さんの人柄についてお聞きします。
学生時代、責任感が強い、と感じるようなことはありましたか?


長坂
- 特に責任感が強い、とか弱いとか感じるようなことは記憶にないです。
いつも笑顔で明るくて、こちらが元気をもらうような魅力的な友人でした。


Q. 就職後にお会いしたときに、仕事が大変だとか、そういう話を聞いたことはありますか?

長坂
 - 仕事に対してネガティブなことを言っていた記憶はないです。
集まるときは同窓会的な感じで、和気藹々と楽しい感じだったと思います。



Q. お亡くなりになってから今回の公表までに、4年も経ったのですが、それについてどう思いますか?

・・・この質問を受けたとき、特に考え込んでしまいました。

先のブログにも書いたように、ぼくは彼女が「過労死」認定されていたことも、
今回の公表・報道で初めて知りました。

だから「なんで今まで隠していたんだ!」という意味での怒りの感情は、ほぼありません。
もちろん死に至るまでの「過労」をさせた会社については別です。

今までぼんやりしていた彼女の死因が明確になり、
その要因についても「過労」という理由付けがされた。
多少は出来事が整理された気もするけれど、
だからと言って、死そのものは揺るぎなく変わらない。

それよりも、ドスンと来たのは今朝の新聞。
171005_201617
一面に顔写真。

昨夜、ネットで見たのと同じ記事ですが、衝撃が全然ちがう。
図らずしも「紙の重み」を感じました。

こちらの写真「遺族提供」とあります。
おそらくこの写真はぼくらが見た最後の彼女の写真・・・
つまり葬儀での遺影としての既視感あり、更に胸を衝くものがありました。

これまでは「友人の突然死」という
僕にとってもプライベートな出来事であったのが、
一晩でいきなり社会性を帯びた「若者の過労死」に変わりました。

記事には次のようにあります。
両親は、再発防止につなげるために娘の過労死の事実を局内で周知徹底することや、自発的な対外公表を求めてきた。
この度の公表は、ご両親が望んだもののようで、
彼女の夭逝を社会的なものにすることは、
遺族の意に反するものではない。

だから今回の、ぼくにとっては急展開で、
着いていくのがちょっとしんどいからと言って、
彼女の死をずっと「ぼくたちの彼女の大切な思い出」として、
不可侵なものであり続けてほしいと思うことは、
少し憚られるような気がした。

Q. お亡くなりになってから今回の公表までに、4年も経ったのですが、それについてどう思いますか?
彼女の会社(NHK)に対する怒り・批判的な言葉を求めているようにも感じられたけれども、
今回の公表の「過労死」については、僕にとっても初耳で、まずは驚きが大きい。

それは彼女がいきなり、社会的な存在になってしまったから。
だからもう場面が変わったので、考えに考え、こんな風に答えました。
長坂
 - 昨日まで「友達の死」という個人的なできごとだったのが、
今朝いきなり新聞の1面に彼女の顔が載ったりして、社会的なことになって驚いている。
こうなった以上、彼女についてテレビとかでもいろんな人がいろんなことを言うのだろうけれども、
いちばんは第二の彼女が現れないこと、同じ会社・同じ業界の人たちはもちろん、
それだけでなく、今回の公表から、働き方や社会がよりよくなってほしい。
彼女の死の意義というか、彼女が生きた証というか・・・


最後に、彼女と僕たちの共通の恩師である、
元キャスターで「時々ジャーナリスト」下村健一さんのツイートをご紹介します。
今夜のニュースを見ていたら、カズオ・イシグロさんのノーベル文学賞一色で、
最近話題の選挙の話すらそこそこ、彼女の過労死についてのニュースは見なかった。

もう公表された以上、社会的となった彼女の死を、
このまま流して、風化させてはいけない。

そんなことを感じました。
では。


(追記)ネットでもニュース映像が出ました。


(追記)