豊橋市議の長坂です。
女城主・直虎にはまっています。

三谷幸喜作品以外の大河ドラマにはまるのは、これが初めてです。
舞台が浜松ということで「いつかきっと豊橋が登場」と思い見始め、
まんまとはまっています。そして豊橋はまだ出てきていません。

直虎といっしょにツイッターを見るのが好きなのですが、
4月頃こんなツイートが目に止まりました。
治める村に人手が足らず、柳楽優弥さん演じる盗賊の頭に
「人など買やぁいいじゃねぇですか」
と提案を受けた主人公・直虎(柴咲コウさん)が、
何の心理的に抵抗も見せず、すんなり受け入れるシーンです。



また先日は、寺田心さん演じる虎松(後の井伊直政)の首を指し出すことを
偉い人に命令された際、その偉い人は虎松の顔を知らないので、
代わりに別の子どもの首を切るシーンが描かれました。
あの時代、命には軽重があり、
そして、現代に比べて命はとても軽かったことがわかります。



一昨日の8月13日、豊橋動物園でリハビリ中であった、
子象のマーラが急死しました。

その報は、日曜にも関わらず速やかに議員連絡として回ってきました。
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マーラの急死にも驚きましたが、
この文面、言葉選びにも僕は驚きました。
平成29年8月13日(日)
本日、アジアゾウ「マーラ」が亡くなりました。

ゾウの「マーラ」が本日、午前 10 時 58 分、5 歳 11 ケ月という短い生涯を閉じました。解剖の結果、死因は腸ねん転と推定されます。腸ねん転は草食獣の死因としてごく一般的なもので、発症後、全身の状態が急激に悪化するといわれています。 

 8 月 13 日(日)、午前 10 時から、通常どおり、プールでのリハビリを行っていましたが、10 時 50 分ごろ、居眠りをするように動かなくなり、やがて静かにゆっくりと横になって、水に浮かび上がりました。 

 獣医師、飼育員が耳を引っ張ったり、体を叩いたりして、必死に刺激を与えましたが、残念ながら、呼吸が止まり、10 時 58 分死亡を確認しました。 

 「マーラ」は、ここ数日、下痢があったものの、食欲は旺盛で、日々のリハビリについても、順調にこなしており、今回の突然の別れに、職員の誰もが信じられない思いです。 

 「マーラ」は 2011 年 9 月 17 日 「ダーナ」と「アーシャー」の子供として生を受けました、残念ながら「アーシャー」の育児放棄により、人工保育となりました。 

そして、2013 年 1 月末、運動不足等により、骨折が判明し、以後、寝たきりの状態が続いておりました。昨年、タイの獣医の先生から、横臥状態による内臓の圧迫から限界が近いともいわれてはおりましたが、本園としては最後まで立ち上がることをあきらめないで、職員一丸となってリハビリに取り組んでおりました。 

職員と遊ぶのが大好きだった「マーラ」、大好きな職員たちに看取られて、眠るように「マーラ」はその生涯を閉じました。
「亡くなりました」「短い生涯を閉じました」
「やがて静かにゆっくりと横になって、」
まるで人間の死のように書かれています。

例えば、冒頭の「亡くなりました」

「亡くなりました」とは尊敬語であり、人間であっても
「祖父が亡くなりました」など、身内に対しては使いません。
「他界した」「永眠した」などと言います。

全体として、直接的表現が避けられており、
淡々としていながらも、飼育員の愛とその裏返しの無念さを感じる文章になっています。

そして、翌日の新聞を見て、ぼくはハッとしました。
園長は「動物園は多くの命を預かり、どの命もかけがえのないもの。ただ、マーラの命は全国のいろいろな人の思いがあり、その思いをしっかり受け止めて頑張ってきた。4年に及ぶリハビリの日々と苦闘の毎日。職員と遊ぶのが大好きで、人間が大好きだったマーラ、やすらかに休んでいただきたい」と話した。
http://www.higashiaichi.co.jp/news/detail/1486
本当にギリギリのところで建前と本音が入り混じった言葉です。

昨年、豊橋動物園ではマレーグマも死亡しており、
その報については、動物園サイトで次のように記述されています。
マレーグマの死亡について
当園で飼育していたマレーグマの「ノン」(雌)が6月26日(日)の朝に死亡しました。
本年5月頃から食欲の低下が見られ、投薬等で治療を進めてきましたが、残念ながら回復しませんでした。
原因は胆管がんでした。

ノン 雌 1995年5月15日来園(生年月日不明、推定23歳)
https://www.nonhoi.jp/news/detail.php?id=103
マーラがいかに特別な存在であったかがわかります。



さて、8月15日。終戦の日です。

この時期になると、各種報道で、
「戦争は悲惨だ」
「二度と戦争をしてはいけない」
ということが毎年報じられます。

今の価値観のまま当時を見ると、
不条理なことがたくさんあります。

しかし戦時は、いや戦時だけでなく、
直虎の時代から戦後まで、
「命は等しく尊い」
「人の命は地球より重い」
という価値観でありませんでした。

最近見たテレビで当時の人が
「兵隊さんは神様だった」
と言うのを聞きました。

身分によって、
敵国か同じ国の人間かによって、
明らかに命の価値に差がありました。

残念ながら、現代においても、
「命は等しく尊い」
という価値観が全世界・すべての国で共有できている
普遍的なものかと言えば、そうでないでしょう。

他国に対し、他国民に対して、
攻撃したり、ミサイルを打つことが、
私たちと同じように抵抗感があるかはわかりません。

「命は等しく尊い」という価値観は、
人類の歴史から見たら、
ごくごく近代わずかな時間の
一部の地域だけで共有されている
とてもとても脆いものです。

戦争のこわさは、まず、
この「命は等しく尊い」という価値観が
破壊されることでしょう。



年に一度くらい、こういう重いことを考えたり、
真面目に発信できるこの機会を大切にしたいと思います。

では。