豊橋市議の長坂です。
1983年生まれです。
今、このブログを少しお酒を飲みながら書いています。
いつもよりも、情緒的になっているかもしれませんが、お許しくださいませ。
■
さて、学生時代からの友人である、音喜多駿(最初だけ敢えて漢字)が、
「かがやけtokyo」改め、「都民ファーストの会 東京都議団」の初代・幹事長に就任しました。
ありがたいことに、最近このブログに新しい読者も増えているため、
おときたと僕の関係について、改めてご紹介。
こちらは4年前、おときたが初めて立候補したときの、ぼくの投稿です。
おときたほど、「幹事長」という肩書に憧れていた議員はいません。
ぼくがはじめて「幹事長」という言葉を知ったの、それは早稲田祭です。
「学生団体◯◯幹事長」、当時そんな肩書をよく見聞きしました。
うちの大学では、サークルのトップを「部長」とか「代表」とか言いますが、
なぜか早稲田では「幹事長」を使うらしく、wikipediaに乗っているほど。
おときたが学生時代の全てを捧げた、と言ってもいい早稲田祭運営スタッフ(通称、運スタ)でも、
彼は代表はおろか役員でもなかった。

※僕が撮った最も古い音喜多駿(と思われる人物)の写真
2005年11月6日、土砂降りでの早稲田祭エンディングにて、誘導する人物
早稲田王でも敗退、男祭りもセンターではない。
当時、早稲田には、学生界隈には、もっと目立つ学生がいっぱいいて、
音喜多は必ずしも、中心や主役ではなかった。(もちろんぼくも)
それだけに、音喜多は「幹事長」に対し、人並みならぬ思いを持っていた(と思っている)
■
当時は、フェイスブックもツイッターもまだなく、mixiが全盛期であったのだけど、
あんなに毎日のように日記を更新して、キラキラしていたひとつ上の先輩たちが、
社会人になった途端、パタっと更新が止まり、
それはぼくの同級生が社会人になったときも同じで、
学生の時、あんなに輝いていたあいつも、あいつも・・・
そんな中でも、おときたは毎日のように、日記を更新していた。
ぼくは、この「恩人」の4年前の選挙で、
冒頭のフェイスブックの投稿くらいしか協力できなかったことを、
今でも結構後ろめたく思っています。
だから今回は、ビラ配りでもポスター貼りでも、選挙カーの運転でも、
この夏はもうちょっと、ちゃんと力になりたいと思ってます。
オレンジ色のネクタイ、用意しとかにゃ。
では!
1983年生まれです。
今、このブログを少しお酒を飲みながら書いています。
いつもよりも、情緒的になっているかもしれませんが、お許しくださいませ。
■
さて、学生時代からの友人である、音喜多駿(最初だけ敢えて漢字)が、
「かがやけtokyo」改め、「都民ファーストの会 東京都議団」の初代・幹事長に就任しました。
TBS NEWS-i@tbs_newsi
小池知事支持の都議が新会派、都議選に向けた動き活発化 https://t.co/5akVC4fiB8 #tbs #tbs_newsi
2017/01/23 20:54:16
ありがたいことに、最近このブログに新しい読者も増えているため、
おときたと僕の関係について、改めてご紹介。
こちらは4年前、おときたが初めて立候補したときの、ぼくの投稿です。
■【音喜多駿という恩人】彼との出会いは22歳の11月、大学4年のときでした。豊橋の手筒花火を上げた駒場祭。8年前のこと。東京で手筒花火を上げるためには、20人近い警備が必須でした。しかし、当時うちの学園祭委員の人数は30名ほど。一企画のために、委員の過半は避けませんでした。僕は当時隆盛だったmixiで、助けを求めました。その日記を見た、時習⇒早稲田の先輩が、早稲田祭運営スタッフのMLに、その状況を投げてくれました。そして同じ運営スタッフで、その先輩と仲良かったおときたが中心となり、当日、二十数名を引き連れて、駒場祭に乗り込んで来ました。揃いの早稲田祭運営スタッフの法被を着て。早稲田祭の法被を来た人間が、統率の取れた動きで並び、東大で警備をしている姿は、異様で個人的にとても高まる光景でした。お陰で事故なく、東京での手筒花火を終えることができました。彼がいなければ、企画は中止になっていました。改めて、あのときは、本当にありがとう。その音喜多が、都議選にチャレンジします。だからと言って、彼に投票してほしい、という訳ではないですが、東京の方、北区の方、まずは投票に行って来てください。そして候補者を見比べるとき、できれば彼も比較対象に入れてあげてください。最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
おときたほど、「幹事長」という肩書に憧れていた議員はいません。
ぼくがはじめて「幹事長」という言葉を知ったの、それは早稲田祭です。
「学生団体◯◯幹事長」、当時そんな肩書をよく見聞きしました。
うちの大学では、サークルのトップを「部長」とか「代表」とか言いますが、
なぜか早稲田では「幹事長」を使うらしく、wikipediaに乗っているほど。
特に早稲田大学では体育会等を除き、雄弁会などからオールラウンドサークルまで大部分のサークル活動の長は幹事長を名乗っている。僕は当時から10年以上おときたのブログ(mixi日記含む)を読んでいるブログファンでもありますが、
https://ja.wikipedia.org/wiki/幹事長
おときたが学生時代の全てを捧げた、と言ってもいい早稲田祭運営スタッフ(通称、運スタ)でも、
彼は代表はおろか役員でもなかった。

※僕が撮った最も古い音喜多駿(と思われる人物)の写真
2005年11月6日、土砂降りでの早稲田祭エンディングにて、誘導する人物
早稲田王でも敗退、男祭りもセンターではない。
当時、早稲田には、学生界隈には、もっと目立つ学生がいっぱいいて、
音喜多は必ずしも、中心や主役ではなかった。(もちろんぼくも)
それだけに、音喜多は「幹事長」に対し、人並みならぬ思いを持っていた(と思っている)
■
当時は、フェイスブックもツイッターもまだなく、mixiが全盛期であったのだけど、
あんなに毎日のように日記を更新して、キラキラしていたひとつ上の先輩たちが、
社会人になった途端、パタっと更新が止まり、
それはぼくの同級生が社会人になったときも同じで、
学生の時、あんなに輝いていたあいつも、あいつも・・・
そんな中でも、おときたは毎日のように、日記を更新していた。
さて、御会を選ぶ理由。これはひとえに、そこに音喜多駿がいるからです。
音喜多は私の恩人です。彼との出会いはお互い大学4年のとき(略)
そんな彼との付き合いももう10年になります。
私が彼を尊敬していることは、自分で決めたことを、本当に最後までやりぬくということです。
私も最近になって、ようやく、地味なことの継続がいかに大変で、しかし重要であり、そしてそれが成果への最短であることがわかり始めました。
例えば、ブログ。今、彼は非常に忙しい日々にいます。
それでも、毎日毎日、欠かすことなく更新する。
私自身もブログを始めてみて、この一見簡単そうなことがどれだけ大変かを痛感しています。
ブログだけでなく、趣味のダンスや友人との食事でも、どんなに忙しくても決めたことをしっかりこなす。
そんな彼を、私は尊敬の念と、そして同じ年ならではの「こいつには負けられん」という気持ちで見ています。その彼が御会を信ずる、ただそれだけで、私にとっては十分に御会より推薦をいただきたい理由になります。
たぶん初公開ですが、これはぼくが選挙に出た2年前2015年春、当時おときたが所属していた
「日本を元気にする会」への推薦依頼のための論文、「元気会を選ぶ理由」です。
当時おときたから、「うち(元気会)からの推薦をもらってくれれば、おおっぴらに応援できるから」
と、提出しました。
ぼくもこれまで何人か、地方議員への立候補の相談を受けたことがあり、それも含め、
「(そういうことなら)とりあえずブログはじめてみな」、と言うのだけれども、
実際に始める人は少ないし、始めても続く人も少ない。
当選した途端、パタっとネットの更新が途絶える人もいる。
ぼくの知る限り、僕以上に毎日更新してるのは、おときたを除けば、
自称「おときたの追っかけ」である、新宿区議の伊藤陽平さんくらい。
そういえば最近、地元のまちづくり系学生が、「長坂さんの勧めで」とブログ始めてくれたので、
激励の気持ちを込めて、紹介します。
■
話を元に戻しますが、学生時代、決して際立って目立つ学生ではなかった、
代表や中心ではなかったおときたが、コツコツとブログと実績を重ね、
今、瞬間最大風速的にでも、日本一注目されている「幹事長」になったこと、
ぼくはものすごく嬉しい、というか結構感情移入しています。
これが「幹事長」でない「代表」や「会長」だったら、そこまででもないだろうけど、
やっぱ「幹事長」ですから。 今や早稲田1の幹事長だよ、きっと。
(気持ちは、「カカロット、お前がナンバーワンだ」)
■「日本を元気にする会」への推薦依頼のための論文、「元気会を選ぶ理由」です。
当時おときたから、「うち(元気会)からの推薦をもらってくれれば、おおっぴらに応援できるから」
と、提出しました。
ぼくもこれまで何人か、地方議員への立候補の相談を受けたことがあり、それも含め、
「(そういうことなら)とりあえずブログはじめてみな」、と言うのだけれども、
実際に始める人は少ないし、始めても続く人も少ない。
当選した途端、パタっとネットの更新が途絶える人もいる。
ぼくの知る限り、僕以上に毎日更新してるのは、おときたを除けば、
自称「おときたの追っかけ」である、新宿区議の伊藤陽平さんくらい。
伊藤陽平:新宿区@itoyohei_tw
ブログ更新。
2017/01/23 23:14:27
音喜多さんが、幹事長になってしまいました…これは大変なことになりましたが、追っかけとして、本気でお手伝いさせていただきます。
音喜多駿都議が幹事長。かがやけTOKYOは都民ファーストの会・都議団へ https://t.co/Lx5jN99l5o
そういえば最近、地元のまちづくり系学生が、「長坂さんの勧めで」とブログ始めてくれたので、
激励の気持ちを込めて、紹介します。
でも、まだ2投稿。 がんばれ名和さん!雄生@Nahua06
ブログ?始めました - 豊橋市議の長坂なおとさんの勧めもありついにブログを始めてみました。日々のまちづくりのPRや趣味のことなんかをメモ程度にちょろちょろ投稿してみようかなと思います。よろしくお願いします。 https://t.co/yx7Ysf6otb
2017/01/06 17:15:17
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話を元に戻しますが、学生時代、決して際立って目立つ学生ではなかった、
代表や中心ではなかったおときたが、コツコツとブログと実績を重ね、
今、瞬間最大風速的にでも、日本一注目されている「幹事長」になったこと、
ぼくはものすごく嬉しい、というか結構感情移入しています。
これが「幹事長」でない「代表」や「会長」だったら、そこまででもないだろうけど、
やっぱ「幹事長」ですから。 今や早稲田1の幹事長だよ、きっと。
(気持ちは、「カカロット、お前がナンバーワンだ」)
ぼくは、この「恩人」の4年前の選挙で、
冒頭のフェイスブックの投稿くらいしか協力できなかったことを、
今でも結構後ろめたく思っています。
だから今回は、ビラ配りでもポスター貼りでも、選挙カーの運転でも、
この夏はもうちょっと、ちゃんと力になりたいと思ってます。
オレンジ色のネクタイ、用意しとかにゃ。
では!