豊橋市議の長坂です。
1983年生まれです。

今、このブログを少しお酒を飲みながら書いています。
いつもよりも、情緒的になっているかもしれませんが、お許しくださいませ。



さて、学生時代からの友人である、音喜多駿(最初だけ敢えて漢字)が、
「かがやけtokyo」改め、「都民ファーストの会 東京都議団」の初代・幹事長に就任しました。

ありがたいことに、最近このブログに新しい読者も増えているため、
おときたと僕の関係について、改めてご紹介。

こちらは4年前、おときたが初めて立候補したときの、ぼくの投稿です。
【音喜多駿という恩人】彼との出会いは22歳の11月、大学4年のときでした。豊橋の手筒花火を上げた駒場祭。8年前のこと。

東京で手筒花火を上げるためには、20人近い警備が必須でした。しかし、当時うちの学園祭委員の人数は30名ほど。一企画のために、委員の過半は避けませんでした。

僕は当時隆盛だったmixiで、助けを求めました。その日記を見た、時習⇒早稲田の先輩が、早稲田祭運営スタッフのMLに、その状況を投げてくれました。

そして同じ運営スタッフで、その先輩と仲良かったおときたが中心となり、当日、二十数名を引き連れて、駒場祭に乗り込んで来ました。揃いの早稲田祭運営スタッフの法被を着て。

早稲田祭の法被を来た人間が、統率の取れた動きで並び、東大で警備をしている姿は、異様で個人的にとても高まる光景でした。
お陰で事故なく、東京での手筒花火を終えることができました。

彼がいなければ、企画は中止になっていました。
改めて、あのときは、本当にありがとう。


その音喜多が、都議選にチャレンジします。
だからと言って、彼に投票してほしい、という訳ではないですが、東京の方、北区の方、まずは投票に行って来てください。
そして候補者を見比べるとき、できれば彼も比較対象に入れてあげてください。

最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。


おときたほど、「幹事長」という肩書に憧れていた議員はいません。

ぼくがはじめて「幹事長」という言葉を知ったの、それは早稲田祭です。
「学生団体◯◯幹事長」、当時そんな肩書をよく見聞きしました。

うちの大学では、サークルのトップを「部長」とか「代表」とか言いますが、
なぜか早稲田では「幹事長」を使うらしく、wikipediaに乗っているほど。
特に早稲田大学では体育会等を除き、雄弁会などからオールラウンドサークルまで大部分のサークル活動の長は幹事長を名乗っている。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/幹事長
僕は当時から10年以上おときたのブログ(mixi日記含む)を読んでいるブログファンでもありますが、
おときたが学生時代の全てを捧げた、と言ってもいい早稲田祭運営スタッフ(通称、運スタ)でも、

彼は代表はおろか役員でもなかった。
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※僕が撮った最も古い音喜多駿(と思われる人物)の写真
 2005年11月6日、土砂降りでの早稲田祭エンディングにて、誘導する人物


早稲田王でも敗退、男祭りもセンターではない。

当時、早稲田には、学生界隈には、もっと目立つ学生がいっぱいいて、
音喜多は必ずしも、中心や主役ではなかった。(もちろんぼくも)

それだけに、音喜多は「幹事長」に対し、人並みならぬ思いを持っていた(と思っている)



当時は、フェイスブックもツイッターもまだなく、mixiが全盛期であったのだけど、
あんなに毎日のように日記を更新して、キラキラしていたひとつ上の先輩たちが、
社会人になった途端、パタっと更新が止まり、

それはぼくの同級生が社会人になったときも同じで、
学生の時、あんなに輝いていたあいつも、あいつも・・・

そんな中でも、おときたは毎日のように、日記を更新していた。
さて、御会を選ぶ理由。これはひとえに、そこに音喜多駿がいるからです。
音喜多は私の恩人です。彼との出会いはお互い大学4年のとき(略)
 
そんな彼との付き合いももう10年になります。
私が彼を尊敬していることは、自分で決めたことを、本当に最後までやりぬくということです。

私も最近になって、ようやく、地味なことの継続がいかに大変で、しかし重要であり、そしてそれが成果への最短であることがわかり始めました。

例えば、ブログ。今、彼は非常に忙しい日々にいます。
それでも、毎日毎日、欠かすことなく更新する。

私自身もブログを始めてみて、この一見簡単そうなことがどれだけ大変かを痛感しています。
ブログだけでなく、趣味のダンスや友人との食事でも、どんなに忙しくても決めたことをしっかりこなす。

そんな彼を、私は尊敬の念と、そして同じ年ならではの「こいつには負けられん」という気持ちで見ています。
その彼が御会を信ずる、ただそれだけで、私にとっては十分に御会より推薦をいただきたい理由になります。
たぶん初公開ですが、これはぼくが選挙に出た2年前2015年春、当時おときたが所属していた
「日本を元気にする会」への推薦依頼のための論文、「元気会を選ぶ理由」です。

当時おときたから、「うち(元気会)からの推薦をもらってくれれば、おおっぴらに応援できるから」
と、提出しました。

ぼくもこれまで何人か、地方議員への立候補の相談を受けたことがあり、それも含め、
「(そういうことなら)とりあえずブログはじめてみな」、と言うのだけれども、
実際に始める人は少ないし、始めても続く人も少ない。

当選した途端、パタっとネットの更新が途絶える人もいる。

ぼくの知る限り、僕以上に毎日更新してるのは、おときたを除けば、
自称「おときたの追っかけ」である、新宿区議の伊藤陽平さんくらい。

そういえば最近、地元のまちづくり系学生が、「長坂さんの勧めで」とブログ始めてくれたので、
激励の気持ちを込めて、紹介します。
でも、まだ2投稿。 がんばれ名和さん!



話を元に戻しますが、学生時代、決して際立って目立つ学生ではなかった、
代表や中心ではなかったおときたが、コツコツとブログと実績を重ね、

今、瞬間最大風速的にでも、日本一注目されている「幹事長」になったこと、
ぼくはものすごく嬉しい、というか結構感情移入しています。

これが「幹事長」でない「代表」や「会長」だったら、そこまででもないだろうけど、
やっぱ「幹事長」ですから。 今や早稲田1の幹事長だよ、きっと。
(気持ちは、「カカロット、お前がナンバーワンだ」)



ぼくは、この「恩人」の4年前の選挙で、
冒頭のフェイスブックの投稿くらいしか協力できなかったことを、
今でも結構後ろめたく思っています。

だから今回は、ビラ配りでもポスター貼りでも、選挙カーの運転でも、
この夏はもうちょっと、ちゃんと力になりたいと思ってます。

オレンジ色のネクタイ、用意しとかにゃ。

では!